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婚外子が増えたら出生率が改善されるなんてことはない

自民党の細野議員がこんなツイートをしていた。

結婚に前向きな比率は30年以上も前の1980年代から34歳までの男4割、女5割で一切変わっていないという話をかれこれ2015年頃から何万回やってもわからない政治家が多くて困る。ちなみに、この数字は厚労省による出生動向基本調査の数字であり、国の基幹統計だ。

そして、唐突に婚外子の話題があって、一体何の資料を見たのかと思いきや、どうやらこの記事のようである。

あのですね。これは基本的な統計処理的にも間違いだし、数字の切り取り方に問題が多いですねえ。

何が危険って、間違った情報も無知な政治家が拡散して、大衆が虚構を信じてしまうというようなことが起きると、それは満州事変から太平洋戦争に至る過去の過ちと同じだからです。https://comemo.nikkei.com/n/n676b1ef7a163

過ちをくり返さないためにも、ここはキチンとファクトを提示しておきましょう。


欧州の婚外子割合が多いのはその通り。日本や韓国が少ないのも間違っていない。しかし、婚外子の割合が低いから出生率があがらないという因果はどこにもない。ましてや、記事の論調にあるように「婚外子割合を増やすような制度や仕組みがあれば出生率は改善される」などということは断じてない。なぜなら、ファクトとしてむしろ真逆だからだ。

いちいち説明しよう。

婚外子の割合が高ければ出生率が高いというためには、単年の双方の数字を並べたところで何の意味もない。長期的な双方の数字が時系列で互いにどういう相関にあるかを見ないとわからない。
よって、各国の1990-2018年にかけての婚外子割合と合計特殊出生率の推移から相関係数を算出したものが以下である。一般に相関係数は、プラスで正の相関、マイナスで負の相関ということになる。プラスであれば、婚外子割合が増えれば増えるほど出生率も高くなる相関があると言ってもいいだろう(但し、単に相関に過ぎず、そこに因果まであるとはいえない)。

で、結果はこちらである。

フランス、イタリア、ドイツなどは、相関係数0.50以上なので、強い正の相関があるといえるが、逆に、記事で話題にしていたデンマークをはじめ、フィンランド・スウェーデン・ノルウェーなどの北欧諸国はそろって負の相関しかない。負の相関とは「婚外子割合が増えると出生率は下がる」という相関である。特に、スウェーデンの相関係数は▲0.65ときわめて強い負の相関だ。

これだけでも、北欧出羽守論法がいかにデタラメかがわかると思う。

それでも、「強い正の相関のある国もあるじゃないか」というかもしれないが、正の相関のある国のうち、イタリアやスペインは日本よりも出生率の低い国であり、ドイツとてたいした差はない。むしろ出生率が低い国が婚外子割合との正の相関が高いのなら「婚外子なんて出生率に関係ないだろ」という話でしかない。

「イタリア、スペインなんかどうでもいいんだよ。少子化対策の見本ともいうべくフランスはしっかり強い正の相関がある。これだけでも効果があるといえるだろう」とまで往生際の悪いことを言い出す輩もいるかもしれないが、これもよくよく時系列の推移を見れば、冷静な判断ができる。

確かに、フランスでは2009年くらいまでは正の相関だが、2010年以降だけを見てみれば、むしろ逆で相関係数▲0.90というほぼ完全なる強い負の相関となる。

これは、イタリアやスペインなど長期的にみれば正の相関諸国も同様で、少なくとも近年においては大体すべての先進国では出生率はだだ下がりなのだから当然である。むしろ婚外子割合が増えても実数としての出生数は増えない。単に全体の出生数が減っているから、結果として婚外子割合が増えているのだという見方の方が妥当なのだ。

もちろん、これは婚外子や未婚の母などを否定するものではない。事情があってそうせざるを得ない人がいることも知っている。しかし、だからといって、婚外子を増やせば出生率は改善されるなどという誤解を与えるようなことを言うのは論外である。むしろ、そういう論法の方がよっぽど「女性は産む機械」といった政治家と同じ思想なのではないか?

最近では、メディアは「5組に1組がマッチングアプリ婚だ」とかうかれて報道しているが…この割合が増えているという数字の罠という意味では同じ間違いなのである。

さも、マッチングアプリがこれからの婚姻増の救世主かのようなもてはやし方だが、そんなことはない。何度もいうように、マッチングアプリでの結婚が増えたところで全体の婚姻数は増えていない。婚姻数が増えていないからマッチングアプリでの比率が高まっているだけにすぎない。

そもそも、マッチングアプリ婚が増えたところで全体の婚姻数が底上げされることなど一切ない。なぜなら、アプリがなくても恋愛できる者同士が単にアプリというツールを使って出会ったにすぎないからだ。アプリがあってもなくてもそういう恋愛強者は勝手に出会って、勝手に結婚する。

むしろアプリとは、「恋愛弱者が自分が恋愛相手として選ばれないことを否応なく思い知らされる残酷なツール」でしかなく、かつて社会のお膳立てによってかろうじて結婚できた弱者たちを「こんな嫌な思いするまらいなら婚活なんてしなくていい」と選択非婚者に鞍替えさせる機能でしかない。

しかし、こういうことを書くと「ちょっとそういう記事は出せません」などと言ってくるメディアもあるそうだ。なぜなら自分達の広告主の中にアプリ業者がいるからだ。

アホかと。明らかなデマに基づく誹謗中傷ならともかく、そうでないファクトの提示を忖度によってなきものにして、自分らがもっとも大事にしなければならない「言論の自由」を粗末に扱うくらいならジャーナリズムなんてやめろと言いたい。幸い、そういうメディアとは個人的に遭遇していないが、もし来たら、おもしろいコンテンツにできそうなのですべて晒してやろうと考えている。

とはいえ、大人の事情で、いろいろ忖度せざるを得ない場合もあるだろう。広告主のためにいやいややらされている場合も過去にはあったろう。しかし、今ではそれはステルス・マーケティングといって禁止されている。やるのであれば、記事ならば「広告・PR」という表記をしないといけないし、テレビなら「これは広告です」という断りが必要なはずだ。

広告とは関係なく、思想によって偏った報道もたくさんある。過去にもそういうものに対して「違うよ」といってきてはいるが、なかなかなくならないのは、これがミスや思い違いや無知によるものではなく、確固たる信念による切り取りや印象操作の意志に基づくものもあるからだ。メディアにいる人全員がそうではない。が、そういう人もいる。

我々はニュースや記事などを受け取る場合には、鵜呑みにせず、そのニュースのソースとなっている一次情報統計などにアクセスして、「本当にその解釈は正しいのか」と疑う姿勢が必要だろう。特に、短文系のツイッターなどで流れてくるものは、悪意でなくとも勘違いを誘発しかねない。受け取り側の個人のリテラシーが求められてくる。

個人のリテラシーがあがれば、適当な切り取りや間違った解釈や偏った思想による言論は呆れられて相手にされなくなるだろう。

ちなみに、偏っていようといまいと自分の思想を述べるのは自由なので、それを否定するつもりもない。が、メディアという立場で発信する場合には正確性と客観性が不可欠だと思う。思想を述べたければ個人の記事で思う存分書けばいいだけだ。


他にも「違うよ」指摘記事は下記にもいろいろ書いている。




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荒川和久/「結婚滅亡」著者

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。