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印象派と経営 自分も構成要素のひとつ

素材の変化

日々、経営ということに向き合うようになり、もやもやと考えながらも、わくわくしています。

コンテンツをつくる立場から、組織をつくる立場へと変わってきました。ただし、立ち位置が変わりながらも、未来を思い描くという意味では、同じことを続けていると感じています。

もちろん、立ち位置が変わることで、直接的に扱う素材は大きく異なってきます。

漫画を描いていた頃は、絵でした。そこから、ライターとして文章を書くようになって、文字へと素材が変わったけれど、想像をアウトプットしている行為としては同じ、と考えていました。

同様に、サービスを企画し、要件定義し、開発チームをマネジメントしていた頃も、絵や文字ではなく、言葉として適切かはわかりませんが、資金や人などの素材と向き合うようになりながらも、想像をアウトプットするという行為につながる手応えがありました。

組織を描く

そして、組織そのものを構築し、運営する、経営を担うようになっても、同様に素材が変わっただけで、未来を想像し、それを現実のものとする活動をしているという点では同じ、と考えています。

上記記事にも、「自分の人生を自分で決める『オーナーシップ』を重視」と書かれています。僕自身も、自分の経験を踏まえながら、自分なりのやり方を模索しつつ、気づきを得るたびに、「ああ、自分の経験の伏線回収しているなあ」と面白さを感じています。

閑話休題。

とはいえ、実サービスそのものからの距離は、どうしても遠くなります。実サービスそのものに直接的に関わるのではなく、それを作り上げていく組織を作るという、間接的介入が仕事になってきます。

画家である友人の福津宣人さんは、筆ではなく、スポンジや木の実などを用いて、描いています。ディテールに寄りすぎないことが、全体の空間そのものを描くときには適している、ということでした。

これは、経営に通ずるところがあるように思えます。ディテールによらないこと、遠くから眺めることで得られる視界があります。それが、自分の役目となっていることを理解する必要があるのだと思います。

自分自身も構成要素として見ること

自分を含めた人の営みを、客観的に俯瞰すること。この自分を含めた、というところが大切なところで、自分を例外に置いたり、特別視したりすることで、全体最適が歪むのだと思います。

ディテールに寄りすぎることなく、自分の立ち位置に拘泥することなく、全体を風景のように捉えていくことができたら。そんな風に考えてみたいと思います。

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