作品を作るのではない、作品を作る環境をつくるのだ。
外資系のコンサルティング会社に入ったところまでを前回に書いた通り。
その時の僕が描いていた理想はこんな感じ。
入社して3年、仕事もわかるようになり、学費を稼ぎつつ英語もペラペラ。満を持して憧れの海外の美術大学に進学する......。
しかし、どうも様子がおかしい。あれ、おかしいぞ、英語なにも向上してない・・・。外資系だから英語が身につく、というあまりにも浅はかな発想で実情を調べずに、就職してしまったアホさにしっぺ返しを食らうことになってしまったのだ。
ニューヨーク大学に行くなんて理想を掲げていたのに、そのレベルの英語は身につかなかった。愕然としたけれど、小さな炎はまだ心の中に灯っているのを感じてもいた。それが、美大に進学するということだった。
東京芸大大学院の映像研究科に入学することを決めて、ようやく好きな映画について学べる環境に身を置くことになった。しかし、大学初日に僕に投げかけられたのは、またもやそれまでの価値観を覆す教授の言葉だった。
「映画は学ぶもんじゃない。学ぼうとした時点で負けだ」
わざわざ会社を辞めて給料ゼロになって進学した大学で、前提をひっくり返されてしまったのだ。完全に、人生の選択を間違えてしまった、いまからやっぱ会社に戻れないかな(んな都合のいい話はありえないけど)、そんな大学院生活の皮切りだった。
<マガジン『社会彫刻家』を目指して>
#1 :表現って何で必要なんだろう:
映画とは、社会の解像度を上げるものである
#2 初めての映画との出会い:
あの時「ドラえもん」を観そびれなかったら、今の自分がいなかった
#4 大学生活:
一般大学に進学した僕がアートを志すようになったわけ
衝撃。住民税は遅れてくる
さらに僕は、住民税が1年遅れて課税される事を全然知らなかった。貯金がどんどんなくなって行く恐怖の中で昼ごはんに「ペヤングやきそば」買うのかどうかすら迷っていたり、「働いていた時になんであんなにスタバとか行ってたの?バカなの?」と昔の自分を恨んだり。憧れていた美大ライフとは程遠い生活を送っていた。
そこにさらに究極の選択が突きつけられた。この年から始まった東京芸大とフランスの国立高等映画学校「フェミス(Femis)」との交換留学プログラム。行きたい。だけど、また予定外の出費でお金がなくなってしまうじゃないか!でも、ここで同世代のフランスの学生を知る事が出来ないと絶対あとで後悔する。『リクナビNEXT』のイベント設営アルバイトなどを繰り返し、
「いや!リクナビNEXTの設営してる暇有ったら、むしろ登録して職探しした方がいいのでは!」
なんて思いながら、なんとか旅費を稼いでパリに渡ることにした。この1ヶ月ほどの滞在が、その後の進路を大きく変えることになる。
もともと、なぜ日本では作家性の強い作品づくりにお金が回らないのかという問題意識を持ってはいた。フランスは映画文化に対する国の支援がすごく手厚い。ハリウッド映画は英語圏の広さという規模の優位性を持つのに対し、フランスは作家性というか、質の高さで勝負する。それは映画に限らず文化全般に言えることで、国家として確固たる競争戦略を持っていることに、日本との大きな差を感じていた。
それでは、日本は何で勝負すればよいか。そこで思いついたのが、当時、米国などで始まっていたクラウドファンディングだったのだ。出資や融資を受ければ、映画の作り手は当然、金銭的リターンを返す必要があり、商業性を重視せざるを得ない。それに対し、共感や応援がベースとなり金銭的リターンの制約がない資金なら、作り手は良いものづくりに専念しやすくなる。
このアイディアがきっかけで、今のMotionGalleryはできているのだ。
さらに驚いたのが、フランスでは芸術に関わる仕事の地位が非常に高いこと。自分のようなコンサルタントをはじめ企業で働いていた人や官僚から美術大学に進む人が少なくない。しかも本人たちとしてはキャリアアップという位置づけなのだ。「これでやっとアートの世界に仲間入りできる!」という価値観に心底驚いた。
「藝大に進学します」話したとき、社内外を含め「ドロップアウトした人」として憐れみの目をむけられても、「むべなるかな」と許容してしまっていた自分には衝撃の価値観だった。さらには、年収や肩書きなど、客観的な評価が重要視されていないように感じた。仕事を選ぶ基準は、自分が胸を張れるかどうか。つまり、出世の基準は自分で決めていた。映画づくりでも、まず政治や哲学から入る。自分はこう考えるから、こういう表現にしたいとはっきり主張する。確固たる信念を持つ学生たちの議論に刺激を受けた。
翻って、日本の現在の映画製作の環境を追認して、その中で自分が作りたい映画を作る事がいいことなのだろうか?もっといい映画製作のかたちを生み出す方が、みんなに喜ばれるのではないだろうかと自問を初めたのがちょうどこの時だった。
震災の葛藤と心が選んだ選択
自問しながら他のものづくりにも目を向けて見ると、同じことは映画だけ起きているのではなかった。アートもそう。アニメーションも出版も演劇も音楽も・・・。
もっとものづくりの環境を変えていきたい。
経済性のものさしだけでなく、文化性や社会性のものさしでクリエイターにお金が集まる社会にしていきたい。それには、投融資のようなビジネスマインドのお金ではなく、共感や参加をベースとしたクラウドファンディングが根付くのがベストなのではないだろうか。
こんな思いに駆り立てられ、2010年にコンサル時代の仲間らと株式会社MOTIONGALLERYを設立し、クラウドファンディングサイト「MOTIONGALLERY」のローンチに向けて動き出したのである。開発中におきた3.11が引き起こした深い悲しみと動揺、社会背景との葛藤もあったが、最後にサイトのローンチを後押ししたのが、イラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミ監督の作品との出会いだった。
東日本大震災などの影響もあって難しくなっているという彼の作品。カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールも受賞し、世界的に高い評価を得ている彼が日本で作品をつくる機会を守ること。それには素直に社会的意義が大きいと心が答えていた。それならば、やはりどんな状況でも文化やアートやソーシャルデザインを応援する事が重要なことに何の代わりもないはず。
志をさらに強くして、2011年7月に、アッバス・キアロスタミの新作のクラウドファンディングを最初の支援プロジェクトとして、MOTIONGALLERYはスタートしたのである。