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インドの学生たちにラグジュアリーを教えて学んだこと。

先週の2日間、ミラノの大学でインドの大学でデザインを学ぶ学生たちにラグジュアリーのレクチャーをしました。そこで気づいたことをメモしておきます。

学生はおよそ50人。プロダクト、コミュニケーション、ファッションを専攻する学部の学生で90%以上が女性です(チューターには「インドではデザインは女性の活躍する分野との認識が強い、と言われました)。3か月間、ミラノに滞在して提携先の大学で集中講義やワークショップを経験するプログラムです。

ぼくのレクチャーは25人ずつに3時間、つまり2回にわけて半々の学生をそれぞれ相手しました。ぼく自身、インドは未体験なので、「インドのことは知らないので教えて欲しい」との姿勢でのぞみました。

また、レクチャーの前週には、ミラノのハイブランドの店が並ぶモンテナポレオーネ通りと、中世からの美術品が展示されているブレラ美術館に足を運び、ハイブランドと文化資産の関係について事前に勘をもっておくようにタスクを出しておきました。

何をポイントにおいて、学生に何を質問したか?

欧州におけるラグジュアリーの歴史や20世紀末からのマスマーケティング的なラグジュアリーの台頭、こうした分野でこの数年頻出してきた文化の盗用新しいタイプのラグジュアリーへの注目職人仕事を文化アイデンティに引き寄せ過ぎないトラベル分野の動向などを、意味のイノベーションやソーシャルイノベーションの観点を含めながら話しました。

ラグジュアリーは問題解決ではなくセンスメイキング側に属し、ソーシャルイノベーションに貢献するビジネス分野であり、新しい文化をつくる役割がある、ということですね。

基本、レクチャーが中心ですが、途中、学生たちには質問について考えてもらう時間を与えました。質問は3つ。

1) 世界各地でラグジュアリーと認知するキーワードが違っている。インドにおけるキーワードは何か?
2) 他の国の企業がインド文化のモチーフをリスペクトなく使っている例、インドの企業が他の国の文化モチーフをリスペクトなく使っている例
3) インドで新しいタイプのラグジュアリー企業や新しいタイプのラグジュアリートラベルを見いだし、自分がデザイナーとして何をやるか?

このなかで上の2)は、英国の植民地であったインドの学生にとって過剰な反応を引き出す質問かとも案じていたのですが、「私たちにとって日常的な会話に組み込まれた話題」と言われ、感情的にならずに学生たちからいろいろと例が出てきたのが印象的でした。

ラグジュアリーは関心の高いテーマ

ラグジュアリーがインドの学生たちにとって高い関心をよぶホットなテーマであることはよく分かりました。

彼女/彼らは「伝統文化」や「職人技術」がラグジュアリー認知のキーワードと認識しており、自分たちの文化への自信、あるいは自らの文化の存在感を示したいとの意欲に溢れています。しかも、インドの学生はインドのラグジュアリー認知と西洋のラグジュアリー認知が異なることも当然のように知っています。

日本でも「伝統文化」や「職人技術」に関心のある学生がいますが、それらがラグジュアリーと繋がることが少ないです。いわんや、ラグジュアリー認知が文化圏によって異なるのを想定内においている学生も、そう多くないとの印象をもっています。

その点、インドの学生とイタリアの学生の間の方が共通点が多いかもしれないです。

社会的責任の議論への敏感さ

実際に、社会的責任をどこまで意識して日常生活を送っているかは分かりませんが、社会的責任の議論に敏感であるのはよく分かりました。これはイタリアの学生との共通するところでしょう。

地球環境から人権に至るまで、とても感度が高い。上述したように、文化の盗用が日常の話題であるのは、その証です。

ですから、イタリアの高級ファッション企業であるブルネロ・クチネリの創業者の生い立ちから起業の動機、そこからの人間主義経営への視線はとても熱いです。

『エミリーパリに行く』が示唆すること

さて、ここで「ミーハー」なドラマがレクチャーに大いに貢献したエピソードを記しておきましょう。

ネットフリックスの『エミリーパリに行く』は、現在、シーズン4のドラマです。シカゴ出身のエミリーがパリのマーケティングエージェンシーで働きながら、愛にトラブルに翻弄される生活が描かれています。

シーズン1では文化のステレオタイプの描き方に見るべき点が多かったのですが、2-3と進むに従い個人的にはやや飽きがきました。しかし、シーズン4でエミリーの過去の弱みを突いてくるようなエピソードが続き、フランス人のシェフの彼氏と別れた後、イタリア人のビジネスパーソンと出逢います。

その彼が、ローマからはやや遠い田舎の村で生活しており、村全体が家族のような関係をもって企業を経営しています。市場では特別なブランドとみなされるカシミアのメーカーです。

この会社が経済的苦境を脱するためにフランスのラグジュアリー・コングロマリットへの身売りを画策しているところにエミリーのエージェンシーがストップをかけるのです。

2012年ミラノ株式上場前のブルネロ・クチネリとLVMHではないか?と思わせる舞台設定です。それで、インドの学生たちに、このドラマを見ているか?と尋ねると、4分の1から3分の1の学生がこのドラマをみていました。

何人かの学生は、ぼくのブルネロ・クチネリの話を聞きながら、『エミリーパリに行く』のカシミア企業を思い起こしていました・・・ドラマをちゃんと見ていて良かった。

ラグジュアリーを戦略的領域と考えている節がある

時代によっても文化圏によってもラグジュアリーの意味は異なります。かつ、それなりに注目を受ける分野です。だからラグジュアリーを戦略的に活用できるとぼくは強調しているわけですが、インドの学生たちは、その戦略性に気づいている節があるのに感心しました。

新・ラグジュアリー――文化が生み出す経済 10の講義』のなかで紹介しましたが、インドの大学院でラグジュアリーマネイジメントのコースのディレクターにインタビューしたことがあります。

その時にインドでラグジュアリースタートアップもないわけではないが、まだまだとの話を聞いていました。ヨーロッパの大学の先生は、中国の方がラグジュアリースタートアップの機運が高いと話していました。数年前のことです。

しかし、今回のレクチャーの経験でインドのラグジュアリースタートアップの話題をソーシャルメディアで目にする日は思ったより早そうだ、と感じました。

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冒頭の写真はヴェネツィアのホモファーベルの会場です。学生たちに機会があればホモファーベルに行くように言ったら、早速、数日後に出かけていました。

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