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若手社員はなぜ3年で辞めていくのか

君にはとても期待していたのに、会社に入って3年で辞めるのか。ここでは、自分がしたいことができません。もうすこし辛抱したら、君がしたいことができるようになる。そんな時間は、待てません。会社にはいろいろな仕事があるから、君の行きたいところがあるよ。ここにいては、私は成長できません
 
今の若者たちはすぐ辞めて困るとか、最近の若い人材は使えないという上司や年配者の嘆きをよく耳にするが、本当は若い人の課題なのか?

インターネットで、社会・会社の情報流通経路が大きく変わった。情報は「上から下へ」から、「水平」に流れるようになった。それは20年前からの変化である。会社の上意下達の体系が機能不全となっているのに、会社を動かす制度を変えていない。実態が合わなくなっている古い仕組みを押し付けているのではないか?

1 ネイマールの十字と日本人のいただきます

新入社員が会社に入って、会社を知っていくプロセスは、どうか?
新入社員研修で、会社のコンセプトとか、仕事とはこういうものだとか、会社が大事にしていることを伝えようとする時に、古びたマニュアルを渡して読んでおいてくださいと言われていないか?eラーニングで、勉強しておいてくださいと言われていないか?会社にとって大切なプロセスをいい加減に扱っていることが最近多い

宗教を広めていくプロセスと比較してみる。たとえばキリスト教を広めるとき、教典や宗教哲学をいきなり話をしているだろうか?そんなことはしていないだろう。キリスト教が布教してきたプロセスには、知恵がある。教会堂・礼拝堂・廟堂で、讃美歌を歌ったり語りあったりする。さまざまな日常体験を通じて、キリスト教が説いていることを多面的に感じ、毎週、教会にお祈りに行く
 
日本人の感覚だと、欧米のカトリックやプロテスタントがキリスト教と思うが、南米にもキリスト教が多い。とりわけブラジルが世界最大のキリスト教国である。西洋の宗教を、植民地政策として、中南米におしつけたような見方を日本人はするかもしれないけど、現地の人たちにとれば、それが宗教観になっている

サッカーブラジル代表のネイマールがゴールを入れて、胸の前に十字を切って、口に手を据えてキスしたりする。そのネイマールの思いは偽物かというと、 植民地政策でブラジルにその宗教が入ってきたという歴史経緯よりも、ネイマールたちの宗教観があって、ゴールが決められたことを神に感謝する。その行為は、もうすごく純粋である。そのくらい宗教観が浸透している
 
難しい言葉で伝えようとしているのではない。 みんなで手をたたいて歌ったり喜んだり、誰かを宗教で見送って悲しんだりという体験を重ねることで、もともと外からきた宗教かもしれないけど、神の存在を意識して神に感謝することを積み重ねて、育まれている

それは、食事をするときに「いただきます」と手をあわせる日本人も、同じく1500年前に外から伝えられた仏教の教義を日常の生活レベルにおとしこんで、現在も自然に実践している

2 誰をモデルにししたらいいの?


これがわが社の理念だとかと言われると、分かっているよと言ったりするが、内心は信じていない
  
何、何イズムとか、パーパスとか、会社の精神や理念を標榜して、社内で情報発信したりマニュアルをつくって教育したりするが、それで伝わっているのか?

現場で、自分が思うように経験を積ませ失敗したら、どうしてうまくいかなかったかを見直して次に成功したらいいと、失敗を学ばせて、また挑ませて、それで成功したら、よくやったなと喜び、ほめる。そういった試行錯誤を通して経験した者が、あっ、これがそういうことなのだと掴んでいく

採用担当や教育担当が新入社員に、会社のルールや会社でのしきたりを教え、配属した職場でその実践を求めるが、それができないのは


 そこにいる人ができてないから 

それは、1人の教養人がいたら、まわりで教養人が増えていくのと同じ。会社のなかにいる人たちがそれを理解して実践していれば、会社に入ってくる人にも伝わる。会社のみんなが信じていないのに、会社に入ってきたメンバーにだけしろというから、おかしくなる

 
芸事もそう。その芸が育んできた所作を師匠や先輩に触れて、自分も綺麗だ素敵だと思い、自分もそれを真似して、日々実践するから、自分も綺麗に素敵になっていく。最近、よく聴く言葉がある


  会社に、ロールモデルがいなくなった
  これも大きい

3 その会社の型枠は、正しいの?  

                                      
最初にこうだということをきちんと伝えておかないといけない、最初に、ちゃんと伝えておかないと、バラバラになる。だから会社には統制がいる—という管理監督者がいる
 
わが社は、こういう会社だと、はじめに型枠をつけて、その枠におさまったら、わが社ではなんとかなる、わが社でうまいことがいくだという押し付けをする。いまもその仕組みが残っている会社、会社員がある
 
本当は、多くの人は分かっている、会社のその枠組みが社会的、現代的に正しいものではないことを。その人たちが向き合う人が、いろんな価値観を持った若者。そういう若者に、俺の若いときはこうだった、会社ってこういうものだ、だからああしろこうしろということが、伝わるだろうか?
 
こういうことが起こる。目上の人に挨拶しろ、会社の中ですれ違ったら挨拶しなさいと新入社員に言いながら、50歳代手前の人が挨拶ひとつしない。そういう挨拶しない人が偉かったりすると、挨拶って何なのか、挨拶って何のために必要なのかとなる。そんなことが社会全般で起こっている
 
職場のなかで上司の指示に従うのは君たちの仕事だというと、反感を買う。なぜその指示に従うのが必要なのかが、きちっと説明できない。なぜ金髪で会社に来ちゃいけないのですかといわれたときに、お客さんが不快に思うだろうと言うけど、不快に思わないお客さまもいますという話になって、じゃなぜダメなんですか?に明確な答えが出せないことが増えている
  
型枠にはめようとしたら、どうしてそれをしないといけないのですか?この会社で給料をもらっているから、会社のルールでやってもらわないといけない。わたしはあなたからもらっていない・わたしは会社から求められた以上の仕事をして会社に貢献しているから、そのルールには従えないと言われると、管理・監督者はどう答えるだろうか?管理監督者は悩む。その悩みは、

なぜこれをしないといけないのだろう
なぜこんなことをしているのだろう

ことに尽きる。管理・監督者がコミュニケーションできないとか、みんなを同じ方向に向けられないっているが、管理・監督者自身が本音のところで、そんなことはできるわけがないという思いがある。できっこないのにやれということは正しくないと思っている人が多い
 
もうそろそろ管理職の「管理」というスタイルを見直さないといけない時が来ている。そうでないと、その役になった人がその役をつけられたことで悩む。現在の会社の枠組みには、矛盾がある

たんに有望な若者が早々と会社を辞めるという話は現象面の問題で、真の課題ではない。会社の制度・ルールと組織・運営システムに、課題はないのだろうか?それを再定義して、再構築しないといけないのではないだろうか


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