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「王様のレストラン」を育てるために必要なこと(最終回)

ここは、イタリアのトスカーナ州のシエナ。世界最古の銀行がある古都の中心部に向かう道に、日本料理店があった。その店名が振るっている―OSAKA。食い倒れ大阪からとったのだろうか?ウインドウでPRしている料理は、一瞥して日本人が絡む店ではないと分かる。日本人以外は、これが日本料理だと思う人が多いだろう。美味しいと言う人もいるかもしれないが、言うほどのものじゃないなと思う人もいるだろう。このような日本料理の広がりが、これまで、いろいろな日本クオリティを落としてきた。

1.あべこべニッポン


2021年の旅行・観光の魅力度ランキング観光ランキングで、日本が世界1位になった。この日本人気に、日本食が大きく貢献しているだろう。

日本食が世界で人気である。ミシュランガイドで掲載されている日本の飲食店の数は、世界有数。和食や寿司だけではない。おにぎり屋や焼き鳥屋さんなど、多岐にわかれる

日本料理は和食だけでない。日本人が調理するフランス料理を、イタリア料理を、中華料理を、外国人は美味しいという。日本人がつくるカレーライスを絶賛するインド人がいる。日本のラーメンも、お好み焼きも、たこ焼きも、美味しいと喜ばれている


そんな世界的に評価される日本の料理だが、従来の日本の先入観、経済団体的価値観では、飲食産業を趣味的、娯楽的、色物扱いをする。


日本と世界での評価が違う

2.王様のレストラン

日本で食べるのが美味しい、そんな美食の国でありつづけるためには、良い店がいる。良い料理店には、一所懸命に良い料理をつくる料理人が必要だが、もう一人大切な人がいる。
 
良い料理店を育てるためには、料理店に来て、良い料理人が全力でつくった料理を食べ、良い料理人と対話する良いお客さまがいる。それが、コロナ禍の行動制限の2年半で、お店に行く人が減った。ここで、思い出したドラマのシーンがある。

お客さまが来なくなった老舗レストランを復活させた「王様のレストラン」(脚本・三谷幸喜氏)のなかで、松本幸四郎氏が演じた伝説のギャルソンの言葉

「最高の料理を味わうには、お客さまの力も必要です。お客さまのコンディションが悪ければ、料理の味は半減します」
(「王様のレストラン」)

(「王様のレストラン」)

良い店を育てるためには、良い料理人と良いお客さまがいるが、日本では料理人に正しい光があてられておらず、

料理人を下に見る


料理人に対する社会的評価が高い世界に対して、日本では料理人への評価は高くない。日本の知識層は、「飲食業なんて…」いう価値観で見る。ラーメンや焼肉屋で繁盛している料理店を、彼らの価値観では「普通の産業ではない」とみる。なぜか。


料理人は大学に行かなくてもなれる

と考える。だから下に見る。この価値観がずれている

3.「おもてなし」がスタイルになりつつある

良い飲食店には、料理が美味しいだけではなれない。お客さまにとって良い「もてなし」が必要である。

日本では当たり前だと思われている、日本の飲食店などのもてなしが、世界で高く評価されだすなか、2013年9月のIOC総会で、東京オリンピック招致のためのプレゼンで使われた「お・も・て・な・し」が世界言葉OMOTENASHIになったが


その「おもてなし」があやしくなりつつある

「おもてなし」は、本来、「もてなし」をうけた人が使う言葉。その「おもてなし」が「ビジネス」になっている。「スタイル」になっている。そもそも「もてなす」とは、なにか?


 「もてなす」とは
「~を以(も)って~を為(な)す」
こと


 たとえば、お茶をおだしする「所作」を以って、なにを為したいのかである。お菓子をお出しして、どのような気持ちをあらわそうとしているのかが大切なのに、お菓子にこだわったり、お菓子をだす「所作」にこだわったり、型や様式ばかりが前面にでると


なんのために、それをしているのか 


が分からなくなる。もてなしがスタイルとなり、そこに込める心がなくなろうとしている。コンテンツだけを意識して、コンテクストが忘れられる。日本の課題が、ここに潜んでいる

3.気が蔓延し、心が薄れつつある

「気は心」という言葉がある。しかしその意味が分かる人は多くない。「気」とは実に不思議な漢字

気という字源は、気体で水蒸気。発散しやすいもの、実体がつかめないもの、実態が見えないもの、ころころ変わってしまうもの、なくなってしまうもの、消えてしまうもの、集めておけないというのが、気の意味

note日経COMEMO(池永)「日本に蔓延している「気」─ 気>心の時代」

この「気」が日本中に溢れて、「心」がしぼもうとしている。世の中でおこっている出来事の多くが「気」となり、「心」がついていかない。「心ないな」という、これまでならば考えられなかったような事象、物事が増えている。コロナ禍に入り、「気」がさらに蔓延している。

世の中、「気」だらけになっている。

雰囲気を察知して、空気を読み、気配りをして、気のきいたことをするという「パフォーマンス」時代となった。瞬間、瞬間に即応するパフォーマンスが多い。なにかをいわれたら、すぐに対応する。その即応さがしゃれていると、彼はシャープだ、彼女は頭がいいなと褒めそやす。だからそんな雰囲気の人がはびこるようになった。

パフォーマンスは、人を喜ばせるためのものであり、人気を得ようとするもの。しかしその人気は永続きしない。

「気」は、実体がなく、つかめない。見えないもの、暫定的なもの。気は軽く、すぐになくなってしまう、ころころ変わってしまう、消えてしまう。「気」にまぎれて、「心」がおきざりになろうとしている。本来、人に心を配る、心に寄り添うのが日本流だったが、心がなくなった。

note日経COMEMO(池永)「日本に蔓延している「気」─ 気>心の時代」



日本人は「気」から動くようになり、ずっと気のまま、ふわふわしている。

日本はまず「心」からはじめ、心で「日本性」をつくりあげてきた。それが、「気」からはじめ、「気」が中心になった。日本社会から、「中心」「芯」がなくなった。
 
インバウンドビジネスで、「もてなしの心」というが、実態は「もてなしの気」となっている事柄が多い。もてなしが型、スタイルになっている。相手を気分よくしようという「気」という様式になっている。
 
世界から注目される「日本性(ジャパン・センス)」を創りあげてきた「心」が、「気」になろうとしている。日本社会から、「心」がなくなろうとしている。

これからが、気になる


しかしまだ間に合う。日本の心を取り戻せる。


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