怪しからん日本の行方④(最終回)
目に見えることと、目に見えないこと。仕事をしていても暮らしていても、様々な問題がおこる。ひとつの問題を解決したら、また新たな問題が現れる。問題解決したら、また問題がでてくる。それはなぜ?その問題を引き起こしている原因(課題)が解決できていないから。怪しからん日本の課題はなに?
1 問題と課題が見分けないと、ビジネスはまわらない
ビジネスは、問題対応業ともいえる。常に問題がある。問題がおこる。だからビジネスの現場で、いつも問いかける
今、目の前で起こっていることは
トラブルなのか?プロブレムなのか?
トラブルとは現象として目に見えている問題。プロブレムとはトラブルを生じさせている原因・本質である課題。問題は目に見えるが、課題は目に見えていないことが多い。このトラブル(問題)とプロブレム(課題)を峻別して、掘り起こした課題を解決しないとビジネスはまわらない
社会はジャニーズ事務所問題、2024年問題、高齢者問題、少子化問題、2025年問題など問題山積。その問題はトラブルなのか?プロブレムなのか?
大切なのは、トラブルではなく
プロブレムを解決すること
目に見える問題対応という対処療法ばかりではいつまでも物事は解決しない。真の原因・課題であるプロブレムを掴まないと、真の課題解決・価値創造はできない。目に見えないプロブレムはどうしたら掴めるのか?内だけで議論していても見えてこない、外に情報を求めにいく
しかし外は情報が氾濫している。ネットやSNSをみたら、いっぱい情報が手に入る。しかも情報量は全体を掴む容量をはるかに超えている
そのネットには、怪しからんという意見、その意見に対するイイね狙いに反論・異論が集まっている。正しそうな情報もあれば正しそうに見えないが正しい情報もある。ネットでかわされる意見はまとまっているので情報処理上は便利だが、ネットのなかから形成される声は世論とはいえない
その世論とか公論とはなんだろう?まず公論から考える
2 万機公論に決すべし
明治維新で、五箇条の御誓文が発せられた。264年間つづいた徳川幕府を薩摩藩・長州藩を中心とする勢力が転覆させ、明治維新政府がうまれ、このメッセージが発せられた
廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ
五箇条の御誓文で、万機公論に決すべし、とした。広く会議を開き、大切なことは多くの人々で公論(公の論議)しよう。なんでも、みんなで話しあおう。万機=すべてのことは公論で決することにしよう。みんなで話し合って決めよう。聖徳太子の十七条の憲法の第一条に盛り込まれた「和を以て貴しと為(な)す」に並ぶ公論・世論の重要性を訴えたものである
この理想あふれる五箇条の御誓文から始まった明治政府は、新たな国づくりに突っ走り、日本を大きく進化させた。それまでの武家政権の政治・社会システムをリセットして、近代国家を建設していった
ただ新たな社会づくりは「万機公論に決すべし」にて行われたのかというと、そうとはいえなかった。徳川幕府時代の方がはるかにいろんな意見を調整していた。明治政府は新たなことを勝手に決め、勝手に実行した。その後、国会が創設され、公論の仕組みが作られたが、日本において
「万機公論に決すべし」は機能しなかった
3 公論のつくり方が死にかけている
その「公論に決する」方法は2つある
日本は議会制民主主義であり、議員を通じての議会での審議という仕組みをとっている。議員が自分の選挙区民の意見を聴き、その意見をもとに、国会で討論する。これが第1の公論のカタチ
いろいろな討議をする自由がわたしたちには認められている。そこで討論するのが、もうひとつの公論のカタチである。では、「そこで」とはどこ?
まず、SNSが頭に浮かぶ。たしかに、SNSは、誰もが参加できて、意見を表明する場所である。外国の要人がX(ツイッター)でいろいろなことを発信するが、それに日本人はまだ違和感があり、日本では社会的了解はまだ得られていない
では、誰もが参加でき、自由に討論できる「公論」の場とはどこ?たとえば学会は、自由に討論できる。そういう場で討論したら、公論になりうる。だから日本では公論をつくりあげるために「委員会」という制度を使う
何らかの立場を代表する委員で構成した委員会で討論させて、その委員会での意見が公論となる。そして、出てきた意見が公論とするためのルールがある
議事録を残すこと
だから、なんとか審議会、なんとか委員会、なんとか住民説明会を開き、討議を行い、その意見を議事録に残すというカタチを持って、公論の体裁を整える。しかし実態は真の公論を経ずに、予算を決めたり、外交をしたりする。議事録も書かなかったり、黒塗りにするようになった
明治維新の五箇条の御誓文で、万機公論、いろいろなことは議論して決めろ、日本の国体の形は勝手に決めない、というふうに示されたが、156年後の現在、どうなったか?
4 怪しい世論のつくられ方
機能しなくなった公論よりも,、世論は、はるかに怪しい
世論はマスメディアが良くも悪くも担ってきた。たとえばジャニーズ問題も、メディアがそのことを報道するまでは、いくらネットで騒がれていても世論にはならなく、マスコミが報道してはじめて世論となる。分かったようで分からない世論とはなに?
世論とは、なんとなく
みんながそれを感じている話
そういうニュアンスが世論。とても便利な言葉。しかし生まれてきた世論を国が使うためには、なんとなくでは困るので、世論調査などのアンケートを行って、何%だとか数字をつくり出す
世論にそういう数字を補強して、メディアで言っているよ、インターネットで言っているよ、いろいろな人が言っているよと、エビデンス(根拠・証拠・裏付け)に基づいているというようなカタチをとるが、その世論が正しいとは限らない
間接民主主義には選挙がある。選挙に勝たないと議員にはなれない。間接民主制は投票率が問われる。投票率が低いと、世論を反映していないとみなされる。現在の投票率は50%を切っているから、国会議員たちが決めたことが国民の半数が承認していないということになる。だから投票率を上げなければ、となる。このように
世論というものは、怪しい
公論には手続きがある。公論を機能させなければいけないが、委員会は初めから出来レースだったり、代議士がその派閥の中で選挙区の住民の声を封じ込めたりして、歪められている場合が多い。今回の福島原子力発電所処理水の放出は国民投票制をおこなっていたら、反対になっていた可能性が高い
5 怪しからん日本の行方
世論は工作される。怪しからんという世論がつくられ、それがなんとなく世論だと信じる人が増えて、そのなかでなにか具体の行動をとる人が出てきたら、日本はどうなるのだろうか?
幕末にペリー来航、開国、安政の大獄という政策が動き、次々と徳川幕府は怪しからん、倒幕しないといけないというような世論が形成され、大老井伊直弼が桜田の門で暗殺され、その動きは大きな流れとなり、7年後に幕府は転覆した
怪しからんという風潮が高まれば高まるほど、社会は極めて不安定になっていく。それも一に二にも我慢が美徳ではないような風潮、そういうことが下地にある
みんながSNSで怪しからんとか反対とか不満だと言いながら、選挙にも行くでもない。言いたいコトをいうが、行動しない。SNSに書き込み、知らない誰かに見てもらうだけで満足する、すっとする
昔、テレビを観ながら、テレビの前でお父さんがビールを片手に怪しからんと言っていた。しかしテレビ局に直接電話をして文句をいうことはなかった。家でテレビを観て、自分が感じたこと、勝手なことを家のなかで叫んでいただけだった。それが変わった
家の中でテレビに文句を言っていたように、SNSに軽い気持ちで何気なく書き込み、社会のみんなに瞬時に見せる。匿名性を担保しながらSNSに書き込んで意見を発するのは、家のテレビでプロレスを観ながらワーワー言っていたお父さんと同じようなもの
SNSで誰かの怪しからんがパズっているのをみて、そうだそうだと同調する人があらわれ、社会において怪しからんが増幅して、それが導火線となりリアルな怪しからんが起きるというリスクががあり、それを抑制しないといけない。SNSという社会装置が怪しからんを大量増殖させ、歪んだ行動をとる人を生みだすリスクが高まっているという認識をもつべきである
日本は法治国家だから、法律を決められている。別の言い方をすれば、法律に違反していなければ誰も排除されない。法律によらず、怪しからんと、身勝手に行動する、自噴に駆られて行動するという社会的リスクが高まっている
これ(トラブル)を何かに是正する(対処療法)という考えではなく、現代社会がそうなっているという前提で、その課題(プロブレム)をつかみ、その先をどうしていくかを考えていくことが大事である。それが怪しからん日本の現在地ではないだろうか