「日本性(ジャパンセンス)」を捨てようとしている日本⑤
漫画のルーツが平安時代の絵巻物「鳥獣人物戯画」であるということは、多くの日本人が知っている。この頃に、現代で言うイノベーションが起こった。世界は輪郭を描かないのに対して、日本人は、まず白地に輪郭を描き、輪郭内に色を塗るという手法を生みだした。その手法は承継され、江戸時代に山東京伝や葛飾北斎の漫画をうみ、明治・大正・昭和・平成の日本の漫画家の創意工夫がマンガ・アニメを発展させ、世界のMangaに押し上げた
日本の漫画の特長は、たんに絵が精緻であるとか、カワイイというだけでない。世界のMangaとして評価されているのは、日本漫画のストーリー展開の巧みさでもある。なによりも、圧倒的な「日本美」を生み出す「日本性(ジャパン・センス)」の品格である
この「日本性(ジャパン・センス)」は、アニメにもドラマにも映画にも、日本の料理にも、日本の理容美容にも、インバウンド観光にも発揮され、コンテンツ産業全般に展開されている
1000年以上も磨きつづけた体得した経験・知識・智慧を重層化させてきた日本文明基盤があるからこそ、現代日本のコンテンツ産業が世界に存在感を示すことができているのではないか。しかし、その「日本性」という日本文明という基盤が薄れつつあるのではないか
1. 気がつけば、追い抜かれている
電気自動車の技術のカギは、IoTやDXだけではない。磁石とモーターが電気自動車にとって大事。そのモーターを、日本は、戦前から、100年以上も、研究に研究を重ねて、世界最先端を走ってきた。それをもとに、独創的な製品、商品をつくってきた。にもかかわらず、現在、電気自動車や高効率モーターシステムは、中国にぶち抜かれてしまっている。
モーターだけではない。日本がいちばんだと思い込んでいた先端技術が、蓋を開けたら、世界に追いつけなくなっていることがある。日本のお家芸だと思っていた技術が、中国やインドに抜かれている。それはなぜか?
「JAPAN AS NO1」はとっくの昔に終わった
世界NO1ではなくなったが、まだまだ日本は上位グループを走っているだろうと思っていた。しかし日本が失われた10年、20年、30年と言っているうちに、まわりの風景がかわっていた。気がついたら
上位グループが見えなくなっていた
日本はなぜこんなに弱くなったのだろうか。それは、
実際の競争で弱くなったのではない
ニッポンは変えてはいけないことを変えた。変えなければならないことを変えなかった。明治維新後、戦後日本は上位グループに追いつき追い越こそうと頑張り、高度成長して、頂点に立ったと思った。そんな日本を世界は「JAPAN AS NO1」と持て囃された。ニッポンはもう学ぶことはないと自己満足して、そこに登りつめようとした過去を忘れ、新しいこと、話題になること、目立つことばかりに目を向け、日本にとっての
大事なものを次々と捨てた
ニッポンは、飽きっぽく、新しいもの、目立つことばかりを追いかけ、古いと思うものを捨てていった。そのなかに、とても大切なことがあったが、それらを惜しげもなく、省みられることもなく、捨てた。その古いものをひろっていく人、企業がいて、その人、その企業が世界企業になっている
2.ニッポンにはニッポンのやり方があると考えるニッポン
テレサ・テンは アジアのトップスターだった。しかし台湾から日本に来て、日本語の歌を唄い、そしてアジアの歌姫に登り詰めた
BoA や少女時代は、ハングルの歌に加えて、 日本語にした歌詞を唄いあげて、 アメリカに進出して、韓国エンタメをリードしてきた
これらに、日本も見習うべきではないかと言ったら
日本には
日本人にしか分からないことがある
日本人には、日本人のやり方がある
という内輪意識や井の中の蛙に安住する悪い先入観がでてくる
一方、世界では、こういう現象が起こっている。
今、 世界中で、日本の80年代、90年代のポップスが流行している。
歌詞は分からずとも、 翻訳とメロディーで、心を震わせている。
俳句が世界芸術になり
和食がユネスコ無形文化遺産に登録され
日本人の感性の鋭さが 、世界に受け入れられている
そんな世界が評価する日本を
ニッポンは評価しない
このように大切なことを軽んじる
大事なことをきちんと認識していないから、ちょっとした努力を面倒くさがり、大きなチャンスを失う
英語や中国語の特訓で その端緒がつけられる
世界の人ができて、日本人ができないわけがない
しかしそれをしないニッポン
3 コンテンツ・ニッポンの世界展開のためには
日本のアニメは、世界展開が不十分である。
そんなことはない。「ワンピース」や「ナルト」や「ドラゴンボール」や「鬼滅の刃」は、世界興行で成功しているじゃないか。確かに、そうだが、それら以外にも、日本には優れたマンガ・アニメがたくさんある。戦略的に取り組んでいたら、どうなっていただろうか?
日本がそうしなかった
機会損失は大きい
マンガは台詞だから、現地の言葉に翻訳すれば、日本マンガの品質は担保できる。しかしアニメにとって、登場人物の声・トーンは重要であり、海外展開のハードルである。日本のクリエーターが込めた登場人物の声へのニュアンスも含めて、現地化にしないと、ジャパンアニメのクオリティは担保されない。
もうひとつ課題がある。
日本のアニメ制作の作業が、海外に外注されだしている。世界から評価される仕事であり、日本人の憧れの仕事だったとしても、労働環境が3Kすぎたら、人が集まらなくなる。こうして海外への外注が増え、日本コンテンツ産業の担い手は、海外が主流となりつつある。
日本アニメ産業も、現地生産に近くなろうとしている。日本の現場の担い手が減ると、日本での学びの密度が薄くなり、日本のクリエイティブ基盤が薄くなっていく。このままいくと、追い抜かれてしまう
やるべきことは明確なのに
また同じ失敗をしようとしている
コンテンツ産業が大事だ、マンガ・アニメがこれからの日本にとって重要だと、永田町も霞が関も、口ではそう言うが、基本は趣味的・色物扱い。真っ当なビジネスとは位置づけていない。上映された作品を観て、したり顔でコメントしたり、興行実績や海外の映画祭での受賞に一喜一憂したりして、それで分かったつもりになっている。
実際、アニメの制作現場がどうなっているのか、マンガ・アニメ産業の全体がどうなっているのかを掴んでいない。全体をつかんで、ビジネス的に、戦略的に考えて
マンガ・アニメは、こうでなければ
コンテンツ産業は、こうあるべきだ
などど、ニュースや経済番組で、大真面目に、議論されることはない。今月発売されたマンガはどうだ、来月に封切りされる新作アニメはこうだ、マンガ・アニメ産業の課題はこれだ、だからこうしないといけないと、ビジネス的にも議論されるようにならないと、真に世界展開するコンテンツ産業にはならない。
日本のマンガ・アニメは、簡単に世界は追いつけないレベルにある。しかし中国も台湾も韓国も、すごい勢いでレベルがあがっている。日本のマンガやアニメ産業のクリエーターや制作スタッフの就業環境や著作権の分配など課題が多い。それらをクリアして、世界をめざしたビジネスプランを本気で考えて実行しないと、これからどうなるか分からない。それはマンガやアニメだけではない。