DXブームの裏で進んでいること
世界ではあまり使われないDXという言葉を、日本で聞かない日はない。また同じ失敗をしようとしている。20年前、パソコンが普及しはじめ、民間企業の多くでパソコンの導入が増えるなか、「パソコンを入れたら効率性が高まって、組織の人員を減らさないといけなくなる。そうとすると、人を減らすなと組合が文句をいってくる、予算を減らさないといけなくなる。だからパソコンをいれない」と自治体の幹部が呟いていたことを思い出す。
コロナ禍が入って、コロナ禍感染報告を医療機関と保健所と自治体をFAXで行っていた背景は根深い。マイナンバーカード普及の壁は、政策論を超えている。
1 DXブームがまた来た
今、DXブーム。またAIブームが来た。
日本は、ファジーといえばファジー、1/fゆらぎといえば1/fゆらぎ。今、DX・AIと言っているけれど、何年か経てばDXって何だったんだろうとなっている可能性が高い
AIの研究者は冷静で、これまでAIブームが何度もあった。またAIブームが来たが、今度はDXへと名前が付け替えられている。国も企業も大学も、DX一色。DX・DXというけれど
そもそも、DXって、なに?
もともと日本は制御系技術に強かった。通信ネットワークはネットワーキング。IoTも、本質的には、ひとつひとつのネットワーキング。それらを制御する技術は日本は強かったが、
DXが、なにを指しているのか
DXを新たな技術のように語り、「新たな」DXで、これができる、あれができるというが、彼らのいうことは、いまある技術で、大半はできる。
つまりDXは、技術の問題ではなく、DXを使って社会でなにをするのか、DXを使ってどんなスタイルをつくり上げるかが本質である。にもかかわらず、DX=技術一辺倒となり、DXで新たな社会をつくることができると考えるが、技術を突き詰めても社会の実像は見えてこない
2.DXは標語・スローガン
脱炭素・脱CO2も話題である。社会的実感が伴わない標語・スローガンに映る。それと同じく、DXも、標語・スローガン的である。DXは、どちらかというと、サービス業や事務仕事の生産性を高めようとするために使われ、創造性を高めるものに展開されていない
コロナ禍を契機に、対面会議がWEB会議に変わった。オンライン講義、オンライン講義も一気に広がった。いつでも、どこでも参加できるようになった。利用パターンが広がった。コロナ禍で、みんながやるようになり、社会の風景ががらっと変わったが、この技術は昔からあった。
技術はあったが、それをしなかった
これが、DXの本質である。DX・DXといっているが、総務や経理など間接部門や本業の間接業務がターゲットとなっている。創造的な仕事に活かされていない。だから間接部門・間接業務において、DXが広がったとしても
本業が弱くなったら、意味がない
そんなことを言うと、時代遅れ、恐竜のように見られ、お前はDXのことが分かっていないと言われるが、我々はそれを何度も経験している
1990年代に、机の上にパソコンが置かれ、仕事が変わった。パソコンで、手作業が効率的になった。効率的となって生産性は高まった。しかし人間がしていた仕事をパソコンに代替させただけで、創造性を高めることはなかった
なぜか?―仕事を再定義しなかったから
それで、どうなったか?パソコンに仕事を任すようになって、仕事のことが分からなくなった。仕事をパソコンに置き換えただけで、会社が強くならなかった
算盤と電卓を使っていた会社が、パソコンを使うようになって、強くなったか?強くならなかった。パソコンを導入した会社は効率性が高まり生産性が向上したが、それだけならば、他社も導入したら
すぐに、追いつかれる
中国や韓国やインドが急速に発展したのは、これ。彼らが世界展開を始めたときに、情報の産業革命が起こっていて、ITの社会実装が進んでいた。それを活用すればよかった。そこから、すぐに垂直立ち上げができた。だからすぐに日本に追いついた。すぐに先進国に追いついた。その後、どうなっているかは、みんな、知っている
DX一色の現在。また同じ失敗をするかも
3.スマホを捨てよ、町へ出よう
間接部門や間接業務が効率的になったからといって、企業の創造力が高まり強くなったという話はあまり聞いたことがない
現業部門に、IT・DXが入った。それで、現業部門が強くなったのか?省人化や省コスト化にはつながった。工程・ステップを減らしたり、人を減らすことはできる。現在、人材確保が難しくなっていて、そういう効率性に意味があるが、IT、DXを手作業の代替だけに活用していただけでは
経費を下げる方向に働くが
真水を増やすことに貢献しない
経費をさげ、価格競争力を高めることはできる。たとえば鉄鋼の製造コストを下げることができても、インドや中国や韓国と比べて、日本のビジネス構造は高コストだから、それでは勝てなかった。どうしたらいいのか?
創造的な技術開発が滞ったら勝てない
よく言われることである。いかに付加価値を生み出せるか、いかに社会的価値を高めるモノ・コトをつくることができるのかである。しかし、標語・スローガンで唱えるだけで、それができている会社は多くない。
たとえば三菱マテリアルの真鍮技術を活かした世界ブランドの製品は、世界中から取り合いになっている。そういうオンリーワン商品を生み出し続ける会社になれるかどうか。
トヨタが日本製鉄から訴えられた。日本製鉄が開発した自動車向けの高性能な鉄鋼材料を、トヨタは買って自動車をつくってきた。トヨタはコストの削減を要求したが、日本製鉄に対応してもらえなかったため、中国の宝山鉄鋼に調達先を替えた。この宝山鉄鋼は、日本製鉄が立ち上げた会社。中国からの要請で、日本は国策として支援した。トヨタが自分の「弟子」に乗り換えたと、日本製鉄が提訴したが
そうなる前の段階があったかもしれない
「昭和脳」の人々は、前提条件を変えないといけないことがある。情報革命が生み出しつづけているビジネスへの最大の影響のひとつがあること。ビジネスの時代速度が、とてもなく速くなっているということ。時間をかけて一所懸命に作りあげてきた競争優位なモノ・コト・サービスが、一瞬で喪失してしまうこと。
昨日まで自社が強かったが
明日になったら、他社が強くなっていた。
そんなことが簡単に起こる時代となった
生産性向上も大事だが、現在を掴み、未来を展望し、ありたい社会の姿の創造に取り組むことが、もっと大事。しかしその観点が薄い。
日本のDXやデータサイエンスは、効率性・生産性を高めることはできるが、創造性を高めるために活用できていない。技術の前に、捉えないといけないことがある。
家でなにが起こっているのか、近所で起こっていること、会社でなにが起こっているのか、都市・郊外・地域でなにが起こっているのか、社会でなにが起こっているのか、を観る。それが観えていない。それが観えていなければ、未来は創造できない。日本には、そんなに多くの時間は残されていない。かつて、寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」といった。スマホを捨てよ、町へ出よう。そこから、社会を観よう。