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戦後日本社会の総括―嫉妬と平等の日本

隣の芝生は青い。彼女は美人で勉強もできて絵も上手でスポーツもできるのは、家が金持ちやから!あの人がこんな大きな家を建てられたのは、普通とちがうことをしているからや!彼は上の人の覚えがいいから、あれだけ出世できているんや!近所付き合いで、会社生活で、人は他人の幸せに嫉妬する。他人の成功を喜ぶふりをして、妬む。かくも日本人は嫉妬心が深い。しかも嫉妬するだけでなく、他人の足を引っ張る

1.みんな平等の日本

明治日本、とりわけ戦後日本は「平等」を社会システムの中核的価値観においた。産業経済では「談合」や「護送船団」方式を生み育てた。みんな平等、抜け駆けしてはいけない。新入社員は、みんな一緒に教育を受け、みんな一緒に係長になり、ほとんどみんな一緒に課長になった。みんな平等

小学校も中学校も高校も、公立学校はどこもほぼ同じ教育。みんな平等。他人よりも目立ったら、飛びぬけたら、嫉妬され、仲間外れされる。そうこうしているうちに、すごい人がいなくなった、チカラが弱まった日本

平等には、「機会」の平等と「結果」の平等がある。受験の機会は平等。しかし合格する人もいるが、必ず不合格する人がいる。デザインコンペの応募の機会は平等だが、当選者以外は全員落選する

「機会」は平等であっても、「結果」は不平等。にもかかわらず小学校の運動会の徒競走のような、みんな一位というような珍妙な平等観を生んだ。みんな一緒、みんな平等、みんな一等賞という社会空気を生んだ。なんでもかんでも「平等に」が、日本人の個性、努力、活力を薄れさせた

2. なぜ仕事をしない人があれだけ給与を貰うの?

古来、人はモノを作り、誰かにそれを買ってもらい、その対価をいただき、暮らしてきた。モノを介した人と人のやりとりで、地域の経済がまわっていた。しかしその人がつくったモノが誰にも買ってもらわなければ、収入はない。その文脈で考えると、会社に貢献しない人の報酬がないのは自然であるが、実態はそうなっていない

明治維新以降、日本は近代産業システムを欧州から学んだ。戦後は、規格型の大量生産大量販売、大規模集中の産業経済システムに転換した。仕事を分業化し、マニュアル化し、人を大量に採用して、集団教育を行い、画一的に仕事を繰り返し、計画管理、時間管理されつづけた。こうして事務所や工場の規模は大きくなり、組織は巨大化した。組織は機能分化し、複雑化するので、働く人を管理、監督する人を増やしていった。

日本が高度経済成長の余韻に耽っている間、世界の時代の潮流が変わっていた。1995年のWindows95の発売を契機とした、個別分散・自律分散システムへの転換が、それまでの仕事法、経営戦略、組織構造を変えた。構造変化の本質を直視しなかった日本も、コロナ禍でようやくテレワーク化、オンライン化が始まった。

テレワークという働き方だけではない。コロナ禍が進むなか、週休3日制や副業・兼業も動き出した。しかし本当は、コロナ禍前から、ビジネス環境は劇的に変わっていた。みんな一緒に新卒で入社して、みんな一緒に定年退職まで頑張るという日本型終身雇用、年功序列が崩れた。新入社員が1年で辞める、半数が入社3年ももたなくなった。30歳を超えないうちに辞める人が一気に増えた。将来のエースと思われていた課長も辞める。中途採用をしないと、会社がまわらなくなった。中途採用が普通になった。

それらの動きを捉え、転職ビジネスが急成長した。しかしコロナ禍が進むなか、そのビジネスモデルも限界がみえつつある。なぜか。企業が求める人材と転職市場に出てくる人材のミスマッチが起こっている。「大手企業で管理職をしていました」といわれても、「それがなんですか?」となった。高度成長・バブル経済下での企業経験を延長している昭和ワークスタイルの人、テレワーク・リモートに悪戦苦闘している「管理者」と呼ばれてきた人を採用したいという企業はそう多くはない。

仕事をする人の価値は、「仕事の対価」で決められる。どこの会社にいたのかではなく、どんな仕事をしてきたのか、その会社でなにができるのか、会社価値を高めるためになにで貢献できるのが問われる。仕事をする人への対価は、「期待値」で払われるのではない。上司に過度に忖度する「従順さ」や無理難題を黙々とこなす「頑張り」に支払われるものではない。その人がその会社で行った仕事に対して払われるものである

係長になったから給料があがる、課長になったから給料があがるということが多いが、本来、その人が行った仕事に、会社にもたらす利益や成果、目に見えない会社への貢献に対して報酬されるのが筋。その人が優秀ならば、きちんと良い仕事・成果を残す。それを正しく評価して報酬するのが良い会社。具体的な成果をあげられない人も、成果をあげる人も、同じような報酬というような「結果の平等」をつつづけていくと、良い人材はいなくなる

3.仕事が変わり、報酬体系が変わる

コロナ禍で人手不足である。人件費を上げないと人が集まらないからと、時間単価をあげるが、人が集まらない。なぜか。労働市場の現実は

人は余っている

「需要≻供給」の人手不足ではない。働きたい仕事と会社が求める仕事との「ミスマッチ」という人手不足である。どうしたら良い人材が集まるのか?

やりたいと思える仕事を
創造する

企業ブランドだけでは選択する人が減った。みんなが知っている会社だとか、大きな会社だからというだけでは、人は集まらなくなった。その人にとって良い仕事、やりがいのある仕事、意味のある仕事をつくれない会社には、良い人材は行かなくなる。

現状の「年齢×学歴×職種×役職×勤務時間」をベースとした報酬体系はすでに機能不全に陥っている。仕事ができる人材にとって、納得性に欠ける。個人の仕事の成果報酬の要素が薄すぎる。良い仕事も悪い仕事も一緒くたの報酬で

みんな、ほぼ一緒では

良い人材はこない。どうしたらいいか。一人一人が行った仕事の成果で払う報酬体系に変える。そこで、問題がある。その一人一人の仕事の査定が正しくできない可能性がある。なぜか?管理者・管理監督者がメンバー一人一人の仕事を観ていない。さらに、管理者・管理監督者にとって重要なことがおこった。テレワークが始まった。見るべき部下がそばにいなくなった

テレワークでの仕事ぶりは、オフイスワークの尺度ではかれない。管理者・管理監督者自身も、テレワークとなり、メンバーみんなと一緒にいれなくなった。

テレワークの「勤務時間」中、みんなはずっと仕事をしているだろうか?勤務開始時間報告と勤務終了の連絡はあるが、どこにいるのだろうか?勤務時間の間に、仕事以外のことをしているのではないだろうか?管理者の自分もそんなときもある。だからみんなのテレワークでの仕事ぶりをそのままは信用できない。そう考えていくと、これまでの勤務時間の概念、勤務管理、労務管理、時給体系が通用しなくなる。これからどうなるか?

年棒制、請負契約

が必然である。具体的にどうなるのか?

   
この仕事を〇〇円でできる?

となる。となると、会社が求める仕事「品質」が担保できるかどうかが問われる。それができるのかできないか。それをする力があるのかないのか。それが個人の評価となる。そうなると、その力をどう身につけていくのが大事である。これまでのように、会社が新入社員教育、OFF-JT、OJTといつた「護送船団」式集団育成プログラムではなく、一人一人が自らの果たす役割と仕事品質を明確にして、それを実現する知識・スキルを身につけていくことが求められる

4. 企業選択時代から仕事選択の時代に

これからどうなるのか?学校を卒業して、社会人になるにあたって

どの会社で勤めているのか

という世間体や企業ブランドよりも

自分の力が求めれる仕事があり
自分を高く評価してくれる
ところで働きたい

企業を選択するから仕事を選択するようになる。じゃ、「自己実現」はどうなんだ?と言われたりする。いままでは

「どこどこの会社に勤めています」

ということで、「自己実現」を満たしてきたが、それでは成り立たなくなろうとしている。テレワークがさらに進んでいくと、場所性が弱まり

「どこに住んでいるのか」

ということすらも、あやしくなっていく。そうすると、なにが「自己実現」を支えるだろうか?「他己実現、社会貢献、ソーシャルデザイン、パーパス」も大事だと言われだした。そういうことができる会社に行きたい、そういう会社に行くべきだという若者が多く、そういう会社に入ったが

会社は、なにもしてくれない
自分のことをわかってくれない

そんなに、会社が不満ならば、宮仕えするのではなく、起業したらどうだ?だれかのプラットフォームに乗っかったり、知名度のある会社の看板で仕事をするのではなく、自分で会社を起ち上げ、それを仕事にしたらどうだ?と言われても、多くの人は、そうしない。なぜか?

当事者意識が薄いから

会社を辞めて一人でイチから独立することは大変。新しいことをはじめることが難しい。成功する自信がないから、大きな組織のなかにいつづける。

大きな会社も、現状を打破するために、イノベーションをおこそうだとか、社内ベンチャーをつくろうだとか、起業支援をしましょうと言い出しているが、当の本人は本気で事業を興す気がない。だから表面的な計画しか作れない、起業しない。本気でそうしようと考えている人は、誰に言われなくても、自らで動き、準備をしている。

しかし、起業するにしろ、会社に残って頑張るにしろ、自らが為すべきこと動くべきことを自ら考えず、なんでもかんでも上司にお伺いして、承認されないと動かない、上司のいうとおりに唯々諾々に従っている人は

いつか淘汰される

そのような時代の岐路に立っているが、自分の立ち位置に気づいていない日本。


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