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まるでコロナ禍はなかったかのように(上)

朝夕の電車は混んでいる。阪急百貨店の食品売り場は歩けないくらい混んでいる。レストラン街も混んでいる、1時間2時間の待ち時間待ちの人気店もある。京都の嵐山の渡月橋も混んでいる。御堂筋のオフイス街を歩いている人がいっぱいいる。マスクをされている人はまだまだおられるが、めっきり減った
 
まるでコロナ禍がなかったようにーコロナ禍前に街が戻りつつあるように、人が行動している。こどもが成長するなか、自分の弟や妹が生まれたとき、「抱っこ抱っこ」と赤ちゃんのような行動をとることを「赤ちゃん返り」というが、「赤ちゃん返り」は決して悪いことばかりではなく親への愛情を確認・肯定する行為でもあるが、「コロナ禍前返り」は良いことばかりだろうか?


1 負のレジリエンス

レジリエンスという英語がある。心理学の世界で使われ、精神的回復力・ストレスに対応して回復する・しなやかさという意味で、元に戻るチカラ、基本・正常にしなやかに戻る性質を指す言葉であるが、東日本大震災以来、災害・防災・減災を議論する際にレジリエンスという考え方が広がった。このレジリエンスで大事なのは

なにが元なのか?なにが正常なのか?

である。なにに戻るかかが大事。ではコロナ禍前に戻る事柄は、戻るべき元なのか?正常なのか?レジリエンスを考えるうえで、その前提を間違うと
 
負のレジリエンスとなる。

2 主語が違っている


なぜ同じことを繰り返すのだろう。「歴史を学ばない者は、歴史を繰り返す」というが、人生のなか、仕事のなかで、同じ風景、歴史を何度も何度も見ることになる

既視感を覚える。その避難所の風景は29年前の1995年1月の阪神・淡路大震災の避難所を、12年前の2011年3月の東日本大震災の避難所と重なる。避難所の状況も、被災されて困っておられる事柄も、行方不明者の捜索に奮闘されている姿も、これまでの風景と酷似している。同じことが繰り返される。突然に発生した大きな地震だから、そうなる―果たしてそうなのだろうか?

日経COMEMO 「リセットボタンを押すのは、あなた。」

有事だから、混乱するのは仕方ない。有事ってそんなもの…ではない。報道のアナウンスが変ったとか、多言語を使用していたとか、避難所での段ボールをプライバシー確保に活用するなど様々な工夫が行われているが、それは改善であり改革にはなっていない。そのような復旧・復興の政策・対策の議論で、気になるのが

主語が違っているのでは

困っておられる方が主語であるべきなのに、当事者でない人・企業が主語になっている。だから時間がかかったり、対応が後手になったり、順番がぐちゃぐちゃになったりする。主導権争いのために、本来できる人や組織があるのに認めなかったり、受け入れなかったりすることがある。困っている人・悩んでいる人が主語であり、現場が主語であるべきである。しかしそうなっていない。東京にいても、能登半島で困っている人たちのリアルは見えてこない、心のなかはつかめない

3 計画をたてても実行しない・灰色のサイ

リダンダンシーという言葉がある。有事がおこっても、たとえ一部の区間や施設の途絶したり破損しても全体の機能不全につながらないように、あらかじめ電力や都市ガスや交通や通信などのネットワークの多重化するなど迂回可能性の手段・対策を講じることである。しかしリダンダンシーという英語を余剰とか冗長性と訳すことが多いことから、不要不急としてみなしてしまう。余裕があったらすると軽視したり、無視したりしてしまう
 
有事がおこり、通常のルートからの電力供給に支障がおこり、停電した。すると、別のルートから電力供給できるように切り替えて、電力供給を継続する。これがリダンダンシーである。その他自家発電システムなどの分散型エネルギーシステムを導入して、有事がおこっても電力供給が継続できるようにしたり、速やかに復電できるようにするよう、総合的に考えて実践していくことが安全安心なまちづくりには重要である。そのように考えるが、実行しない
 
東日本大震災以来、有事に向けて、多くの自治体・企業・工場・病院・学校が事業継続計画(BCP)をたてた。しかし時間をかけて計画を策定しても、決断しない。有事はいつかおこるもの、滅多におこらないものと、確率論で考えて実行しない、本気で取り組まない組織・企業が多い。どこかで有事でおこったことは認識するが、自分のところではおこらないとなぜか思い、計画を実行しない。普段はおとなしいが、暴走しだしたら手が付けられなくなるといい「灰色のサイ」、将来高い確率でおこるだろう問題を軽視するという行動をとる

しかし有事はいつかおこる

4 コロナ禍はたしかにおこった


リベンジ消費でもある。
コロナ禍での自粛生活の反動として、人々は都心に、街に、観光地に出て、モノ・コト・サービスが動く。コロナ5類以降、インバウンド業界、小売・サービス業界はコロナ禍前近く、コロナ禍並み、コロナ禍越えの業績があがった

コロナ禍のなか、緊急事態宣言、移動制限のなか、お客さまに来ていただけないことに苦労して、店の営業時間を短くして、スタッフが店から去り、店をしめるなど、悪戦苦闘してきた

お客さまが戻ってきた。1人2人3人と、お客さまが来店していただけるようになった。ええことや、倍返しや、休みがとれない、忙しい、涙がでるくらい嬉しかった。1か月が経ち、2か月が経ち、3か月が経ち、8か月が経った。しかしその感激が普通になった。すると

しんどかったコロナ禍が忘れはじめ
コロナ禍が消えていく
 

とはいえ、いっぱいお客さまが来ていただくのは有難い。問題は、その次。リベンジ消費はいつか無くなる。次がどうなるか?それを読むことが大事

5 テレワーク・リモートワーク時代

会社の風景も変わった
コロナ時代となった2020年から、テレワーク・リモートワークが本格的に始まった。テレワークか出社ワークではなく、テレワークと出社ワークのハイブリッドワークが普通になった。それから3年経った

コロナ禍4年目の2024年となり、テレワークが良いとか悪いとかの議論はまだあるが、テレワークは社会の普通となった。その大前提は、オンライン会議が社会的に受け入れられ、社内でも社外でも普通に使うようになった。みんながいつも集まる、お客さまのところに時間をかけて15分30分の面会のために訪するというスタイルが必ずしも普通ではなくなった

それが普通だったコロナ禍前のことを
だんだん忘れだしてきている

オンライン会議、テレワークのデメリットや問題はあるが、それを上回るメリットは個人、会社、社会において大きい。10年後、20年後、50年後、100年後、もしかしたらコロナ禍時代の起点である2020年が

リモートワーク時代の前と後

に分けられることになるのではないだろうか?まさにリモートワーク時代。働くスタイルはバラバラ。会社ごとにバラバラ、会社のなかでもバラバラ、仕事・職場によってバラバラ、業種によってバラバラ、個人によってバラバラ。バラバラとはなにか?これがリモートワーク時代の本質、つまり

主語が変わろうとしている

リモートワーク時代の前は、会社が主語だった。会社にみんなが集まり、みんなが同じ空間で一緒に仕事をしていた。だから会社が主語であり、場所と時間が決められていた。それがリモートワーク時代となり、個人が主語となる。個人が好きな場所で、好きな時間に、仕事をこなして、最高の成果を出す
 
場所や方法論の違いだけではない。仕事の定義、仕事の進め方の流れ、仕事を進める組織、仕事の成果の評価、人の成果の評価など、リモートワーク時代の前と大きく変わることとなる
 
100年以上も前の大正時代の労働環境を前提に作られた工場法をベースにつくられた戦後1947年の労働基準法がついに見直そうとされている。それくらい大きな変化が現在おこっている

6 未来は現在に埋め込まれている

なにをいいたいのか?何度も何度も歴史は繰り返されるのだろうか?過去に学ばない、歴史に学ばないことはない、学んではいる。しかし自分事として、考えない。灰色のサイのごとく、自分にはおこらないと思おうとする。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。ドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの格言で、愚者は自らの経験からしか学ばない、賢者は自分の経験できない他人からも学ぶ、過去から歴史から学ぶという。
 
それだけではない。深く考えない。表面的に捉える、見えていることで判断する。トラブルとプロブレムを峻別できない。トラブルとは現象として目に見えている問題。プロブレムとはトラブルを生じさせている原因・本質である課題である。


トラブルとプロブレムを見極める

ビジネスは、問題対応業ともいえる。常に問題がある。問題がおこる。だからビジネスの現場で、いつも問いかける
今、目の前で起こっていることは
トラブルなのか?プロブレムなのか?

トラブルとは現象として目に見えている問題。プロブレムとはトラブルを生じさせている原因・本質である課題。問題は目に見えるが、課題は目に見えていないことが多い。このトラブル(問題)とプロブレム(課題)を峻別して、掘り起こした課題を解決しないとビジネスはまわらない

日経COMEMO「怪しからん日本の行方④(最終回)」

これからどうなる?現在の日本社会をみると、まるでコロナ禍がなかったかのように、コロナ禍前の社会に戻りつつあるように見える。しかし、現在には、過去と未来が埋め込まれている。未来を展望するうえで大事なのは、現在にある「過去と未来」を構造化することである。そこには3つの変化がある

①コロナ禍前から、構造的に変化してきたこと
②コロナ禍を契機に、構造的に変化していること
③コロナ5類移行後に現在、構造的に変化が起こっていること

現在おこっている事柄を峻別して、それはなぜおこっているのか、なぜそうなったのかを突き詰め、それぞれを関連づけ、構造化することで、未来を考える、未来を見つめる

コロナ禍はあった。コロナ禍前もあった。現在に埋め込まれている「過去と現在と未来」を浮き彫りにする。その3つの時間軸、変化を構造化する。そこで見えてくることがある。それが見えたあと、次に向かう。次のステップは、次回に考える
 
コロナ時代4年目の現在地から未来を展望する。未来を拓く戦略を考える徹底トークを明後日、オンラインで開催する。ご興味のある方は、ぜひご参加ください

https://cds.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/1st_special_seminar.pdf


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