「あなた、いらない」と言われないため
「ロールモデルを提示することが必要だ」という声をビジネス現場でよく聴く。これからどうするかの議論が煮詰まったら、「多様性が大事だ」が出てくる。これらがキラーコンテンツとして登場してきた背景は、いままでのやり方では通用しなくなっていることを認識しているが、なにをしたらいいのかが見えない証左そのものである。
1.あなたは、いらない
「日本の大学生は幼稚。大学生になっても社会人になって、なにをしたいかを決めていないのは異常」と、日本の大学に留学してオランダに戻った友人が言っていた。大学生が卒業後に希望するのは、知名度が高く規模が大きく大都市のオフイス街に本社があり給料が高い会社だった。そしてそんな会社に入ったあなたは羨望の的だった。3年後、30年後、10年後、20年後、30年後、40年後のあなたは、どうなっているだろうか?「あなた、いらない」と言われたら、どう思う?
これから、「どこに勤めているのですか?」ではなく、「なにをしているのですか?」と訊かれる。「会社で、どの役職に就いているのですか?」ではなく、「なにをめざしているのですか?」と問われるようになる
世の中、DXで一色になっている。ものづくりをしている人、お客さまと接しているサービス業やエッセンシャルワーカーのように、社会において具体的な役務を提供している仕事は社会からなくならないが、デスクワークや中間管理職のような
仕事はこれからしぼむ
さらに、ますます一人でパソコンやスマホで行なう仕事が増え、効率化していく。そうすると、人と人が対話して、人と人が刺激を与えあい、知恵を出しあい、何かを生み出す仕事や、現場で手数を重ねて洗練したモノをつくっていく仕事が大事になっていくが、その仕事に大学ブランドや学歴はどれだけ意味があるのだろうか?
それはコロナ禍前からの潮流だったが、1~2年が経つと、コロナ禍しか経験したことがない大学生が卒業する。会社は、その人たちを
どういう基準で採用するのか?
これまでの終身雇用と年功序列、人事制度も採用制度も働き方も、機能不全に陥っていた。そこにコロナ禍に入った。大きく変わるビジネス環境のなかで、社員の位置づけが従来とは違う。では、どういう基準で採用するのだろうか。正解はないだろうが、明らかなことがある。それは、これまでのような「どこの大学の何学部にいたのか」よりも、「高校・大学までに、なにをしようと考え、なにをして、なにをつかんだのか」が大事となり、大学名よりも人そのもので選ぶことになる。
2.中間管理職も、いらない
「コミュニケーションが大事だ」という言葉も、コロナ禍の組織のなかを飛び交っている。テレワークが増えて、人と人が会えなくなり
コミュニケーションができなくなった
と。コミュニケーションを図らないと、仕事がまわらなくなったというが、それ、本当?
しかしそもそもそのコミュニケーションという言葉がよく分からない。直接会って顔を見て話をしないとコミュニケーションができないというが、それは本当?
日本は、オンラインの本質を理解していない。オンラインをリアルの代替としてしか考えている人、企業が多い。コロナ感染対策のため、テレワークとなり、会議の場所が会議室からバーチャルに変わっただけ。オンライン会議のカギは「時間」で、議論するテーマを明確にして、会議参加者の役割分担を行い、与えられた時間内で議論をまとめることが問われる。しかし会議の再定義を行わずオンライン会議になったため、「上司の上司のための上司だけ」の日本流リアル会議そのまま、曖昧なまま無責任に終わる―会議はこの言葉で終わる。上司がいちばん若手に「今日の会議の議事録まとめてメールでおくっっといて」
もうひとつある。日本はコミュニケーションと報告・連絡・相談(ホウレンソウ)を混同している。業務上の必要な
報告・連絡・相談は
ビジネスで当たり前の仕事そのもの
それをコミュニケーションとは言わない
これ、とても大事。戦後日本の会社はヒエラルキー組織構造から、30年前からのIT化でネットワーク組織構造に変わり、本当は情報の流れが「上から下へ」から「必要な人が受発信できる」に変わっていた。にもかかわらず、日本は組織的に情報活用して仕事が進めるのではなく、人間関係で仕事が進めることから抜けられなかった。だから新入社員だけでなく、中堅社員にも、リーダーにも、「報連相」教育が繰り返された。それくらい、情報の流れがスムーズではなかった。阿吽の呼吸だとか忖度だといい、きわめて属人的に進めた。仕事は人間関係が大事だ。
だからコミュニケーションが大事
だといってきた。仕事帰りの一杯飲み・飲みにケーション・親睦会が管理職・管理監督者の大事な仕事と考えてきた。しかしコロナ禍となり、声を誘いたくとも、会社にみんなが揃わなくなってしまった。
そしてテレワークで浮き彫りになったのは、「報告・連絡・相談」のまずさであり、人となりとか人間性とか職場のまわりの人々と調和していくということは、仕事の成果には直接関係ないことに気がついた。そうなると
「管理職をやってきました」
だけのような人はいらなくなる
3.本当に「学びなおし」すべきこと
管理職がいらなくなる時代となるともに、知名度の高いブランド企業も転職するための登竜門に過ぎなくなるかもしれない
いや、もうすでにそうなりはじめている。ブランド企業に入って、3年も経たずに転職する人が増えている。そうなると、ブランド企業も
会社が「いい人材」を育てる
ということは幻想だった
のではないかとなる。そうなったら、ブランド企業も
いい人材は中途で獲得したらいい
となる。求める側がそう変わるならば、求められる側は選択される人材に自分を鍛え磨きつづけるようにしないといけない。それは欧米ではとっくの昔からそうなっていた。そもそも新入社員を採用して育てるという発想は、日本ぐらい。それも、戦後日本の「社縁」社会だった時代までだった。
これまでの「大卒一括採用して計画的に育てる」という人材育成戦略が崩れた。会社が新卒社員をじっくりと育成しているという時間的余裕はもうない。新たな仕事が出てきたら、それを遂行できるスキルをもった人材を社内・社外から調達したらいいと考えるようになりつつある。
世界は必要な人材は外から調達して、必要でなくなれば契約を解除する。それが世界標準で、日本は特殊だった。それが時代速度につながった。
会社のなかでしか
通用しない人材育成は終わる
学校での学びも大きく変わる
社会はどんな人材を求めるのかーお客さまの見えている問題点やニーズ、見えていない課題やニーズを掘り起こし、それを解決できる、価値創造できる人は生き残っていけるが、そうでない人はいらないと言われるようになる
そういう近い未来が見えている
いや、すでに始まっている。会社つとめをしている30歳~40歳台の人たちはとりわけ不安だろう。
自分になにがあるのだろうか?
いままで、会社でなにをしたいのかを決めず、準備せず、その会社に入り、会社に入っても、必要なことを身につけてこなかった。それが突然、デジタル・DXとなった。企業や国も、これからの社会で必要となるスキル・技術を学びなおさないと大変だ、リスキリングだと急にいいだしているが、そのことが分かっている人・企業はとっくの前に手をうっていた
4 みんな、チャラになる
コロナ禍に入って、昔のように事務所のフロアにずらっと人がずらっと並んでいる会社をほとんど見なくなった。在宅の人も多いから、全員が一同に会することはなくなった。逆に、事務所に人がぎっしり席に座っている姿を見たら、この会社はどうしたのだろうか?と不思議な気持ちになる。これから
そんなのは恰好悪い
と思われるようになるだろう
突然、「あなた、いらない」と突然言われるかもしれない時代。60歳台の人は、ギリギリセーフ、なんとか逃げきれると思っている。それ以下の年代は、これからどうなるのかが不安。ここに、納得しがたい深い世代間ギャップが横たわっているが、本当はそうではない。
1年先がどうなるのが読めない。ましてや10年先20年先30年先がどうなるのかを読むことは困難であるが、現在をじっくりと観ていくと、社会のカタチ、会社のカタチ、仕事のカタチ、教育のカタチもすべて、これまでがチャラとなろうとしている。コロナ禍を契機に
みんな、チャラ
となろうとしている。「これからは、これまでと変わる」とみんな言い出した。そう、「前のままではだめだ」ということは、みんな、認識しだしたが、どうしたらいいかが分かっていない。だから、前と同じことをする。これからどうなるのかが不安。それが現代の空気。ではどう考えたらいいのかは来週水曜日。