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グラウンドに一礼する子どもたち―美しい日本⑤(追伸)

そのソフトボールチームの子どもたちは、練習の始まりと終わりに、グラウンドに一礼する。そんな一礼する子どもたちを見て、いい姿だな、清々しい気持ちになる大人に対して

あの監督はなぜ子どもたちに
グラウンドに一礼させるのだろう?

意味が分からない、鬱陶しい気分になる大人がいる

日本からかつてあった文化が、消えつつある
そのシーンを見なかったら、そのことに触れたことがなければ、意味や本質が分からなくなり、消えてしまう。かつてあった日本文化が消えつつあるのは、それをする人が減ってきたから

小学生が手をあげ横断歩道を渡っていると、車は停まる。横断歩道を渡り切ったら、その小学生が「ありがとうございました」と頭をさげて御礼をいう

note日経COMEMO「横断歩道で停まってくれた車に、「ありがとうございます」と頭をさげる小学生がいる国―美しい日本③」

この投稿に、多くの反響をいただいた。これこそ日本の姿だという感想を多くいただいたが、こんなことをこどもに強制する大人に問題がある、こんなの日本の美しさではないとのお声も多く寄せられた。しかし停まってくれた車に向かって、頭を下げてありがとうございますという子どもの姿は美しい

では、子どもは、なぜありがとうございますと頭をさげるのか?

コンテクストのないところに
コンテンツは生まれない

note日経COMEMO(池永)「なぜ東京のトイレはキレイなのか?」

1.    混沌する日本

どう考えても日本は
混沌としている

しかし選挙に関心がない

みんな、大きな不満がないからか?
みんな、なぜ不満がないのか?
本当に困っていないのでは?
困っていないと思うから

このままでいいのとちがうかと思う

しかし実態は、貧富の格差が激しい
その貧富の富の部分が二極化している
本当に金がある人と成り上がった人では違っている
成り上がった人はここに来て、急におかしくなっている
 
その貧富の貧の部分も
二極化している
貧困率が高まる

あらゆる場が混沌してきている

2 いろいろ色が真っ白の紙に浸潤していく混沌

日本で、この会社がいちばん良い
と言えなくなっている

社会の形も、そう

墓じまいも
普通にするようになった
家族葬も、平気で普通にするようになってきた
離婚も、普通になった

XやFacebookをひらくと
派手な映像で飛んでくる
自分を売りこもうと
簡単に金儲けしよう
とパフォーマンスがヒートアップしている

日本だけが特殊ではない
それは、世界中、共通
人は、プリミティブに、本能に
訴えだしている

純粋だった真っ白だった紙に
いろんな色が混ざり
だんだん浸潤していくプロセスに
いるのが現在地

浸潤は、止められない流れ

いろいろ事柄が混ざり合うなか
これがいいのか、あれがいいのか
どれがいいのかと
国民的に考えていくことになる

次の姿が見えない
現在地というが
混沌とは、次の姿に向けてまとまろうという状態

混 沌
ごちゃごちゃしているようなイメージがあるが、そうではない。「混」とは水が流れて、丸くまとまっていく様であり、「混沌」とは次のカタチ・枠組みに向けてまとまろうとしている様をいう。決して悪い言葉ではない

note日経COMEMO(池永)「迷子のニッポン。現在、どこにいるの?―未来社会はどうなる」

3 大手老舗企業のイージーなCMが増えているのは

日本の文化性
民族性が
怪しくなってきている
 
みんなから共感される
みんなからリスペックとされる
価値観が
なくなりつつある

錚々たる名門企業グループの
企業CMがイージーな演出になってきた
えっ?あのお堅い企業がどうしたの?という
CMが増えている
なぜか?

昔のコンサバな、権威主義的な表現では
支持されない

ということで
日本を代表するような大きな会社が
イージーなテレビCMを流すようになっている
 
なにがおこっているのか?

社会がソフトになり
重いもの、シリアスなもの
権威的なものは嫌われ
社会が求める
期待するものにあわそうとする
PRになってきている

ソフトで、空疎なコンテンツだが
それが、現在のコンテクスト

現在の情勢判断と読むべき

大企業の経営企画部門が
これまでの堅い、真面目な広告宣伝では
消費者は離れる
 
制作している広告代理店も
こう提案しているのだろう

硬いCMではウケない
難しいCMでは時代に合わない

そのテレビCMの
何十万人のグループ会社社員や関係者
は嫌がる
トップ企業で、給料も高く
周りからチヤホヤされているのに
自社のテレビCMがあんなにくだらないと
格好が悪い

もうちょっと品よく
事業の本質を捉えたらいいのに

とにかく面白かったらいい
とにかくうけたらいい
になっている
 
そのCMも
社会の変化に呼応している
と考えるべき

4 異常であることが異常だと思わない

100年の老舗の大企業だからと言って
ありがたがられる時代は
とっくの昔に終わっている

混沌とした状況になると
これまでの価値観は固定的でなくなる

東大だってランキングは下がっている
権威に対する観念が崩壊している
 
良い会社とはどこ?
日本を代表する会社はどこ?
と言われても
具体的な会社が浮かばない

ベンチャー企業も
あまり尊敬されていない
金があるというだけでは
尊敬されない

そういう時代になって
これからのことを展望しても
大切なことが読みきれない

混沌の現在
 
社会が共有する価値観を
再構築しないといけない

東大に入ってすごいね
大手総合商社に入ってすごいね
というふうに言ってもらえなくなっている
 
銀行もどうなんだろう
自動車メーカーもどうだろう
電機メーカーもどうだろう
 
既成概念が崩れ
戦後日本システムは
もう終わっている

戦後日本式民主主義も終わっている 
選挙で選ばれた議員をリスペクトしない
選挙で選んだ人を自分たちの代表として認める
というのが本来の民主主義なのに
選挙で選ばれた議員を尊敬しない
それが異常なことであることを
異常であると思わない社会に
なっている

5 体育館の出口に靴をきちんと並べる子どもたち

日本の再構築にむけて
なにから始めるのか?
なにが次の形を仕切るのか?
と考えると
日本の美しいという価値観
 
日本の強みってなにか?
と考えると
おのずと日本の美しさとなる

なによりも
日本の美しいシーンは
立ち居振る舞う姿

前職で一緒に仕事をしていた
陸上400mリレーメダリストの朝原宣治さんが
地域倶楽部の開講式で、子どもたちに
語っている言葉がある

体育館に入るときは
運動靴を体育館の出口にむかって
きちんと並べさせる。
なぜそうするか?
何かあったときに
外に出やすいから

と子どもたちに、話をすると
子どもたちは、2回目から
自然に靴をそう並べる

日本には、3つの美しいがあるが
あるべきものが、あるべきところにある
あるべき有り様であるという
美しい
が失いつつある

日本の3つの美しい

①意匠的な意味の作為・無作為が存在していると理解できることが美しい
②あるがままのカタチ、あるがままが美しい
③あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチであるが美しい

note日経COMEMO(池永)「日本が生き残る道-美しい日本 ①」

ゴミはポイ捨てしない
なにごとも整理整頓しない
と気持ち悪いと思うのが
日本人

そういうあるがままの美しい
日本の再構築にむけて
大切な社会的な価値観

あるがままが美しいと感じるシーンを
大事にしていこう
こうめざしていこうという
社会気運が大事ではないだろうか

それが
日本が日本として評価されている
根源ではないだろうか


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