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「誘われ力」を磨いたバンド時代編 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.01>

COMEMOでも紹介してきたように、私は日々、いろいろな仕事に関わっています。最近は広報やマーケティングなどコミュニケーションに関する仕事が多いものの、それらと全く関係ない種類のものもあり、いつも「日比谷さんの仕事は何ですか?」という質問に一言で答えるのが難しいと感じていました。

早大の入山章栄さんは年始の社説の中でこう語っています。

早稲田大学の入山章栄教授(経営学)が注目するキーワードがイントラパーソナル・ダイバーシティーだ。「個人内多様性」と訳されることが多いが、要はいろいろな経験をした人ほど新たな「知」を創造でき、ビジネスでも成功を収める確率が高まるという。(中略)日本の若い世代が人生のキャリア設計を考える上でも「個人内多様性」は重要な概念になろう。

そういえば入山さんには「既存の肩書きでは捉えられないようなスタイル」「職業や肩書きがはっきりしない」事例として、以下のように紹介されたこともあります。

”日比谷さんの仕事って職業としての名前がないんですよ。人と人をつなぐだけなので。そこで最近では自ら「コネクタ」と名乗って活動しているようです。世間的にはまだまだ理解されていませんが、彼の取り組みこそがオープンイノベーションに必要なものであると考えています。人と人をつないでイノベーティブなことをしているし、経営学的に見ても非常に面白い存在です。(中略)これからは日比谷さんのように、既存の肩書きでは捉えられないようなスタイルで仕事をする人が増えるだろうと考えています。”

https://tomoruba.eiicon.net/articles/606

”これからの社会で価値を出す人って、そういう人なんじゃないかと思っています。例えば、私がアメリカで教えていた時に使っていた経営戦略論の教科書で紹介されていたのは、歌手のマドンナです。彼女は確かに歌えるし、踊れるし、芝居もやっていて、最近は女性の地位向上のための社会活動もしているけど、それぞれで究極のエキスパートというわけでもない。つまり、ある意味で何をしているかよくわからない。でも、だからこそ競争力を発揮して、何十年もショービズの世界でトップに君臨し、影響力を保っていると言われています。日比谷さんも、職業や肩書きがはっきりしないからこそ、価値があると思うのです。”

https://techplay.jp/column/366

確かにこれまで自分の専門性を網羅的に説明したことはありません(広報やマーケティング、イベント運営など特定のジャンルについてはノウハウを発信することもありますが)。マドンナに名前を並べるのはおこがましい💦ですが、私のキャリアの特徴も、変化していくことそのものにあると言えるのかもしれません。

当然、人に説明しても理解されにくく・・・。少なくとも体系的に伝えたり、再現性をもってキャリアのアドバイスをしたりすることが難しく、ちょっともったいないなあと思っていたのも事実です。

そこで、ここからの数回は「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」ということをやってみようと思います。そのまま参考にしていただくのが難しいキャリアなので、変にサマらず淡々とお伝えすることによって、それぞれ「この部分は参考になるかも」というところをピックアップしていただき、いかに「個人内多様性」を有するキャリアに至ったかを紐解く参考にしていただければという狙いです。

ということで、自分が今まで何をやってきて、組織の中で戦略的あるいは結果的にどのような役回りを果たし、スキルがどう広がっていって今に至るのかを、時系列でまとめていきます。

第一回となる今回はバンド活動編。中学生から高校生くらいまでの話でして、「周囲から声がかかる仕組み」に気づいたエピソードです。そこまで遡るの?!と驚かれるかもしれませんが、初回は「思い返せば当時からそういうフシがあったなぁ」くらいの序章になります。

音楽への興味。独習の日々。

プロジェクトやチーム単位で活動した最初の経験を思い返すと、高校時代に遡ります。

小さい頃から音楽に興味があり、ラジカセにラジオ番組を録音して聴きかえす幼少期でありました。小学生高学年になると図書館に入り浸り、貸し出し数上限までCDやレコードを借りてカセットテープにダビングする毎日。中学時代になると音楽の好みがロックやジャズに向き始め、英国系ロックや日本の70年〜80年代ロック、Bluesに執心していました。ちなみに当時はバンドブームでしたが、イカ天などで流れる音楽にはあまり興味が向かず・・・

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自分で演奏することにも興味をもち始め、最初は中学校の音楽室にあるギターを弾いていました。先輩たちがライブでThe BeatlesやBOOWYなど演奏する姿を見て自分も演奏したいなぁと思いながら、ロックやジャズをやる友達がいなかったため、ひとり家で黙々と夜中までギターを練習する日々でした。

「興味を持ったことにハマり、時間を忘れて没頭する」時期ですね。

ひっそりと教わり、やがて噂になる

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しかし独学に限界を感じた私は、こっそりとアルバイトをするなどして受講費を貯め、通学路沿線にある音楽教室でギターを習い始めることに。その後私の影響で同級生も何人か通い始め、学校にギターを担いでいくようにもなりました。そんな流れで「あいつはギターを弾くらしい」という話が学校で広がり始め、同級生のバンドからお声がかかります(話が日比谷っぽくなってきました)。

「独学に限界を感じプロに教えを請い」「それが噂になる」時期であります。

誘いを受けてバンド活動。バンドを転々とする。

「どうせ自分の興味には合わないだろう」と斜に構える気持ちもありつつ、学園祭やライブハウスでそれなりに活動を続けました。が、なんとなく居心地の悪さを感じたまま、最初のバンドは1年ほどで脱退。高校時代になると周りのバンド活動も活発になり、さらにいろいろなバンドからお声がかかります。ここでも「どうせ自分の興味に合うバンドはないだろう」という気持ちは根底にありつつ、音楽仲間とつるむこと自体は楽しかったので、1年おきくらいに声をかけてくれたバンドへの参加・脱退を繰り返しました。今の働き方さながら、「声をかけられたらとりあえず参加してみよう」というスタンスを大切にして、学園祭やらライブハウスやらでのバンド活動に勤しんでいました。(ちなみにその後、バンド活動から派生して他のことに興味と活動の対象が広がっていった流れなども私らしいなと思うのですが、その話は次回に)

「お声がかかったらとりあえず話に乗ってみる」「しかし定住せず居場所を転々とする」フェーズと言えます。

気づき:プロジェクトベースの動き方。「周囲から声がかかること」の仕組みを理解

少々後付けの講釈にもなりますが、当時のふるまいは、後のキャリアの選び方や仕事の仕方に通じるものがあると思っています。それが、以下の流れです。

1、興味をもって独学で学び始め
2、きちんと専門家に教わり
3、気づくとそこそこの腕になり、周囲に評判が伝わり始め
4、周りから声がかかり
5、とりあえずチャンスに乗ってみて
6、しかし定住はせず、次の場所を探す

特に2〜5の流れは、ビジネスに通じるものが多いと思います。例えば実力や評判が周囲にきちんと伝わることの大切さは、まさに「引き寄せの法則」であり、インバウンドマーケティングと同じ構造ですよね。そしてそのような機会がいただけるのは、きちんとプロに教わって型を身に着けているからこそなのだということも、当時の経験から痛感しています。

また「流行りや周りの人たちの動きを気にせず、自分のやりたいことに集中し、学び、気づくとそれなりの評価を得ている。でもそこに定住せず、次の場所を探し続ける」というスタンスは、今の自分のクレド(https://kipples.jp/about/)のとしても掲げている「価値観に真摯となる」「領域を越える」にもつながっていております。

といったところで今回はここまで。序章の割りに長くなってしまいました。次回は 生徒会&学園祭編です。

<気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと>
第1回:「誘われ力」を磨いたバンド時代編
第2回:「仕掛け人」として「連帯感作り」に目覚めた学園祭編
第3回:音楽が未知の世界へ飛び込む楽しさを教えてくれた
第4回:本格的に「デジタル」に目覚めた大学時代編
第5回:ベンチャービジネスとの出会い編
第6回:モラトリアム卒業編


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