トランプタワーに行き、スーパーマーケットに寄って、ラーメンを食べたーアメリカから日本を観る④
トランプ2.0がスタートした。強いリーダーを求めるアメリカ国民に応える強い言葉と強いパフォーマンスで、トランプ劇場の第2幕が開いた
米国民の利益を最優先する「米国第一」を掲げ、「黄金の時代がいま始まる」と就任演説で唱えた。「非常にシンプルに米国第一とする。米国はこれまで以上に偉大で、強力で、はるかに卓越した国になる」「自信と楽観を持って大統領に復帰する。国家が成功する刺激的な新時代の幕開けにいるからだ。変化の波がこの国に押し寄せている」と語り、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」、WHO=世界保健機関からの脱退などの大統領令に次々と署名した
計算された巧みなパフォーマンスに熱狂するアメリカ人もアメリカ人、反発するアメリカ人もアメリカ人、大統領が誰になろうとかわらないアメリカ人もアメリカ人。どれもアメリカである
1 問診票15枚で子どもの顔を観るドクターのいる国
アメリカに転勤した日本人から聴いた。3歳のこどもを、小児科の検診に連れて行った。事前に送られてきた問診票はなんと15枚。デジタル社会最先端のアメリカなのに
アナログで、しかも枚数の多さに驚いた
問診票に事前に記入して、クリニックに行った。医師は日本語を話せる先生で、こどもと親の顔を観ながら、15枚の問診票で質問して
答えるこどもと親の表情を観て
いろいろな話をしてくれる
パソコンの画面ばかリ見て患者さんを観ない日本とは違う。身長の測定は、ベッドの上にこどもを寝転がらせて、紙の上にマーキングして計測する。こどもは嫌がらず、医師との時間を楽しむ。DX最前線のアメリカ社会だが、人と人の接点をとても大事にしている
こんな話も聴いた。アメリカでは発達障害のこどもに対して、親もしくは先生がこどもの言動にその可能性を疑った場合、専門家に診断を受け、認定されたら、徹底的に療育される。発達障害者へのサポートが充実していると言えるが、本質はこうではないか
大人が、こどもの姿を観察して
こどものヘルプをつかんでサポートする国と
こどものヘルプに気づかない国がある
2 スーパーマーケットで、店の人との対話を楽しむお客さまのいる国
真似しつづけたアメリカのスーパーがめざすものを現代日本のスーパーは観えているのか?
その国を観るとき、市場やスーパーマーケットに行く。アメリカでスーパーマーケットをまわった。アメリカの肉コーナーのスペースは広い。そのなかで、Wagyu が並ぶ。和牛が特別扱いされている。醤油もワサビも普通に並んでいる。刺身も豆腐も日本酒もインスタント麺も普通に並んでいる。日系スーパーに行かないと調達できないのではなく、普通のスーパーでも増えている
アメリカの住みたい街ランキング一位のオーステインが本社のスーパーホールフーズの「グロ-サラント(食料品店とレストランの融合)」には有名シェフの本格的なイタリア料理店やフランス料理店に、日本料理店も並んでいる。拡大するオンラインショッピングへのリアル店舗ならではの魅力を打ち出し、お客さまを惹きつけている
日本のスーパーマーケットは、アメリカを真似して事業を立ち上げた。それ以降も徹底的にアメリカのスーパーマーケットのやり方を真似しつづけた。それだと思っていたが、イタリアやスペインのスーパーをまわっていたときも感じたが、アメリカのスーパーをまわるなかで、最近感じたことがある
レジで店員さんがお客さまと会話をしている。野菜売り場でも肉売り場でも魚売り場でも、店の人がお客さまと対話をしている
今日の食卓に、この食材で、こんな料理をしたらどうだ?
そんな会話が飛び交う
お客さまは、お店の人との対話を楽しんでいるようだった。商品の売り買いの関係をこえて、地域の人と人の交流だった。日本のスーパーにもあった風景だったが、効率性、人手不足で減っている
一方、日本は人と人の関係性が薄れている
公設市場が消え、シャツター商店街が増え、地域で作ったモノが地域で流通しなくなり、お客さまと地域の店の人が会話していた場所が減っていき
買い物をする楽しさやワクワク感が
無くなった
さらにスーパーやコンビニは、人手不足のため、効率化・経費削減のため、セルフレジ化を進め、野菜・魚・肉売り場に店の人を見かけなくなり、店で会う店の人は商品補充の人が多い。流通DX化で生産性を向上しないといけないと言って、省人化・無人化を推し進めているが
それって誰のため?
ロボットが出迎えてくれ、入店から退店まで店の誰とも会わない。無人化した店が未来の店だといい、さらに無言化を強めていき
誰とも話さない
が増えようとしている。お客さまは、そんな無人化、無言化した店を求めているのだろうか?誰かとも接点のない場、誰とも話さない店に行きたいだろうか?
3 4000円のラーメン店に長い行列ができる国
テキサスオースティンの住宅地にある話題の日本料理店に行った。入口に焼き鳥の屋台があり、店内は日本風の意匠やマンガ・アニメや看板、装飾を施して、日本を演出して、『鳥つくね』が人気だった
『すき焼き』人気は健在である。すき焼きは、アメリカの日本料理のフロンティア。坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」のアメリカでのタイトルが「スキヤキ」となったのは、日本=すき焼きといわれるほど人気だったから
今は、すき焼きだけはない。日本の料理人気はすさまじい。かつてのような東洋のエキゾチックさへの関心という文脈の日本人気ではなく、日本発の料理が世界に受け入れられての人気である。和食、寿司、焼き鳥だけではない。ラーメン人気は凄まじかった
ともあれ、日本の料理は世界料理となった。日本の料理は日本だけのものではなくなった
4 日本の料理店に、外国人の行列ができる国
日本で観光をしたり、モノ・コト・サービスを体験する外国人が殺到している。日本インバウンドブームである。そのブームには原因がある
圧倒的な円安だから
アメリカの寿司店だったら10000円の寿司が、日本に行ったらアメリカの店以上の味の寿司を5000円で食べられる。アメリカよりも安く、美味しい寿司が食べられるのだったら、日本の寿司店で食べたくなる
アメリカで日本人がラーメンを食べるとチップをいれたら4000円。日本ならば1000円で食べられる。アメリカ人にとって驚くほど安い
しかし日本で1000円のラーメンが3000円になったら、高すぎて食べないという日本人も出てくる。しかし3000円ラーメンでも食べにくル外国人が多くなったら、店は十分にまわる。日本人には来てくれなくてもいいとなる
このまま円安がつづき、インバウンド消費がさらに増えて、日本のサービス産業は復活すると期待するが、円安がこのままずっとつづくは限らない
コロナ禍の行動規制で業績低迷して人員整理をしたあとに、インバウンド需要が急復活しているが、慢性的な人員不足となっている。そこで、気になることがある
日本が評価されている理由に、「日本のもてなし」=サービス品質が高いというが、本当にそうなんだろうか?
5 「もてなし」が「パフォーマンス」になろうとしている国
日本の飲食店や商店や旅館などの「もてなし」が、世界で高く評価されてきた。その「もてなし」が「スタイル」になりつつある。そもそも「もてなす」とは
「~を以(も)って~を為(な)す」こと
お茶をおだしする「所作」を以って、なにを為すことが、もてなし。お茶、お菓子をおだしして、どのような気持ちをあらわそうとしているのかが大切なのに、お茶・お菓子の銘柄にこだわったり、お茶・お菓子をだす「所作」にこだわったりと、型や様式にこだわる人が増え
なんのために、それをしているのか
が分からなくなりつつある。もてなしが「スタイル」となり、そこに込める「心」がなくなろうとしている
雰囲気を察知して、空気を読み、気のきいたことをするという「パフォーマンス」が目につくようになった。瞬間、瞬間に即応するパフォーマンスが増えている。なにかをいわれたらすぐに対応する。その即応さがしゃれている、すごいねと褒めそやかされる
そんな雰囲気の人が増えている
パフォーマンスは人を喜ばせるためのものであり、人気を得ようとするもの。しかしその人気は永続きしない
パフォーマンスは「気」
「気」は実体がなく、つかめないもの
見えないもの、刹那的なもの
気は軽く、すぐになくなる
ころころ変わってしまう、消えてしまう
そんな「気」にまぎれて
「心」がおきざりにされようとしている
人に心を配り、心に寄り添うのが
日本流だったが
その大切な「心」がなくなりつつある
「日本ならでは」の心がどこかにいこうとしている
日本は「心」からはじめ
心が「日本性」をつくりあげてきた
それが、「気」からはじめ
「気」が支配する国になりつつある
日本社会から「芯」がなくなりつつある
「もてなしの心」を標榜しているが
実態は「もてなしの気」となっている
もてなしがスタイルになろうとしている
相手を気分よくしようという「気」
というスタイルになろうとしている
世界から注目される「日本性」を
創りあげてきた「心」が
「気」になろうとしている
日本から「心」がなくなろうとしている
「心」を取り戻さないと
日本から「日本性」が消えてしまう
アメリカのラーメン店、日本の料理店は
思った以上に美味しかったし
スタイルの「もてなし」は日本と変わらなかった