テレワーク、強制転勤廃止は「知識創造」という日本企業の強みを奪うか?
昨今、新型コロナ禍の影響もあり、テレワークの普及や、強制転勤の廃止など、世の中の働き方が大きく変化している。
一方で、こうした働き方の変化は、特に人材の育成面(知識の共有や、新しい知識の創造)において、これまで日本企業が培ってきた強みを奪うのではないか、という議論もある。
テレワークに関して言えば、これまで同じ場所で密に集まって働いていたからこそ伝承できていた知識、あるいは、生まれていたアイディア、イノベーションが失われてしまうのではないか、という声も聞かれる。
また強制転勤廃止についても、独立行政法人労働政策研究・研修機構が2017年に行った「企業の転勤の実態に関する調査」によれば、企業が社員を転勤させる目的で最も多いのは(複数回答)、「社員の人材育成」(66.4%)となっており、転勤をやめることで、様々な勤務地や部門を経験することがなくなり、社員の成長や創造性発揮が阻害されることも懸念されている。
ぼくが働いているサイボウズでは、現在、9割近くの人がテレワークをしており、転勤(というか強制的な人事異動)も廃止されている。
他社の人と話すと、それで社員同士の知識の共有はうまくできますか? 部署間の人の移動が減ることで、組織内での刺激が減ってイノベーションが起こりづらくなることはありませんか?と聞かれることがある。
正直、ここで組織内部にいるぼくが「テレワークしたり、強制転勤を廃止したりしても創造性は失われません!」といっても何の説得力もないのだが、幸いなことに日本には、日本企業の強みを「知識創造」という観点から解き明かした著名な研究がすでにある。
そのため「知識創造という観点で日本企業の強みが失われないのか?」という質問に対しては(簡易的にではあるが)その理論に当てはめてみることで比較検討することができる。
今回は1995年に発表、世界10カ国語以上で翻訳され、日本企業のイノベーションのメカニズムを「知識創造」という観点から分析し、ナレッジマネジメントブームを巻き起こすなど、世界のビジネスの現場に大きな影響を与えた野中郁次郎氏/竹内弘高氏の『知識創造企業』を参考文献にしながら、日本企業がこのまま働き方を変えていくことで、本当にその強みを失ってしまうのか、ということについて考えてみたい。
SECI理論
『知識創造企業』のなかで提唱されている知識創造理論は「人間の知識は暗黙知と形式知の社会的相互作用を通じて創造され、拡大される」という前提に基づいている。
「形式知(explicit knowledge)」とは、文法にのっとった文章、数学的表現、技術仕様、マニュアルなどに見られる、形式言語によって表すことができる知識。
「暗黙知(tacit knowledge)」は、形式言語で言い表すことが難しい、人間一人ひとりの体験に根差す個人的な知識(パーソナルナレッジ)であり、信念、ものの見方、価値システムといった無形の要素も含む知識だという。
ここで本書ではさらに、「暗黙知と形式知の社会的相互作用」を4つの知識変換モードに分解する。
具体的には、①個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」、②暗黙知から形式知を創造する「表出化」、個別の形式知から体系的な形式知を創造する「連結化」、④形式知から暗黙知を創造する「内面化」の4つである。
①共同化(Socialization) 暗黙知(個人)⇒暗黙知(グループ)
共同化とは、経験を共有することによって、メンタルモデルや技能などの暗黙知を創造するプロセスと定義されている。
具体的には、ビジネス現場におけるOJTはもちろんのこと、ホンダが新しいクルマの開発を行う際に泊まり込みで合宿機会を設けて密に議論を繰り返し、お互いの視点やメンタルモデルの方向性を揃えたことや、松下電器が家庭用自動パン焼き機を開発する際に開発主任と数人のエンジニアが大阪コクサイホテルのパン職人に弟子入りして技能を教わったことなどが事例として挙げられている。
②表出化(Externalization) 暗黙知⇒形式知
表出化とは「暗黙知」がコンセプト、仮説、メタファー、アナロジー、モデルといった形をとりながら、概念化、言語化され、「形式知」化していく過程のことだとされている。
例としては、マツダが新型RX-7を開発したときに「エキサイティングかつ快適なドライブを提供する本格的スポーツカー」というコンセプトを言語化したり、ホンダ・シティを開発する際に「クルマ進化論」というメタファーを生んだことなどが挙げられている。
暗黙知を形式知に変換する際は、(そもそも暗黙知は言語化するのが難しい特性を持っているので)メタファーやアナロジーを用いていくことが有効だとされている。
③連結化(Combination) 形式知⇒(体系的な)形式知
連結化とは、コンセプトを組み合わせて一つの知識体系を創り出すプロセスである。既存の形式知同士を組み合わせて新しく体系的な形式知を創り出す、というのがこの知識変換モードで、学校における教育訓練、MBA教育などがその典型だとされる。
④内面化(Internalization) 形式知⇒暗黙知
内面化とは、形式知を暗黙知として個人の中に取り込むプロセスである。
形式知を暗黙知に内面化していくためには、書類、マニュアル、物語(ストーリー)などに言語化・図示化されている必要があり、たとえば、あるサクセスストーリーが組織のメンバーにその話の本質と臨場感を感じさせることができれば、過去の経験が暗黙的なメンタルモデルとなり、その暗黙知は組織文化の一部になっていくこともあるという。
これらの4つの知識変換モードは、それぞれのモードにおける英語の頭文字(Socialization,Externalization,Combination,Internalization)をとって「SECI理論」とも呼ばれる。
この4つの知識変換モードを、個人からグループ、組織、組織間という大きな範囲でスパイラルアップさせていくことが、企業でイノベーションを起こすために必要、というのが本書の最も大きな主張となっている。
「知識創造」における日本企業の強み
では、肝心の日本企業は、こうした知識創造理論において、どのようなところが優れているとされたのか。
書籍内では多数のポイントが挙げられているが、今回は「高密度の場」と「頻繁な人事ローテーション」という2つの観点に注目してみたい。
本書では日本企業の競争力の源泉として「暗黙知」をうまく活用していることが何度も繰り返されている。
日本企業は、知識変換モードの中でも特に、お互いの暗黙知を共体験して分かち合う「共同化(Socialization)」、それをコンセプトとして形式知化する「表出化(Externalization)」に優れている、という。
その理由の1つに著者は「高密度の場」を挙げている。
日本企業は、頻繁な定期・非定期の会合、公式・非公式のコミュニケーション・ネットワークを持つことで「高密度な場」を創り出し、「共同化」「表出化」を促進しているというのである。
本書内の事例としては、ホンダのタマ出し会(温泉旅館などで酒を飲んだり、食事をしたり、風呂に入ったりしながら、問題を議論する非公式な会議)、キャノンの合宿、シャープのNEWING会議、キャタピラーのオーロラ工場で週一回行われた朝ミーティング、花王での大部屋制(研究者の間での情報共有を促進するためにR&D実験室の壁を取り外して大きなオープンスペース作ったこと)などが挙げられている。また、仕事が終わった後の飲み会なども有効であるという。
20年以上前の書籍であるため、多少、時代錯誤な印象を受ける例もあるが、いずれにせよ、身体的にも、精神的にも「密」な場を創り出すことこそが、勘や知覚、メンタルモデル、信念、体験を共有することにつながっている、というのがここでの主張である。
また日本企業には、さらにもう1つ「暗黙知」をうまく活用するための手段があるという。そこで紹介されているのが「頻繁な人事ローテーション」である。
たとえば、花王のある事業部に属する研究者は、「必要とあらば、いつでも動かす」という方針に基づき、他の事業部へ、あるいは販売や経理といった他の職能分野へ異動させられることが少なくないという。
そして、このような活発なジョブローテーション・システムは、暗黙知の蓄積と共有を促すとされる。
実際、花王は1980年代半ばに化粧品マーケットに参入したが、その先鋒となった「ソフィーナ」というスキンケア製品は、界面活性科学とスキンケア生物学の研究者たちの協力の成果だったという。
改めて、日本企業は「高密度な場」をつくることに加え、「頻繁な人事ローテーション」を行うことによって、暗黙知の共有、そして、暗黙知を形式知に表出することに成功してきた、というわけである。
情報技術は「知識創造」を補完できるか
ここまで、日本企業が「暗黙知」をうまく活用できてきた理由の一端には「高密度な場」と「頻繁な人事ローテーション」があったのではないか、という説を見てきた。
こうした日本企業の強みは、冒頭に紹介した最近の働き方の潮流とは、ある意味、逆行する話とも言える。
新型コロナ禍、個人の就業観・価値観の変化、少子高齢化、ジェンダー平等、グローバル化、デジタル化など、大きな社会環境の変化の中、日本企業が持続的に競争力を高めていくためには働き方の変革が必要とされている。
テレワークなど、多様な場所で働けるようにすることや、会社主導でジョブローテーションを繰り返す以外のキャリア形成の仕方が必要とされ始めているのである。
しかし、ここで注目したいのは、1990年代と違って、現代社会では情報技術が飛躍的に進化しているという点である。
知識が「情報」から生み出されるものである以上、情報共有の仕方に変化が起きたのであれば、当然「知識創造」の仕方にもアップデートが加えられていくことになる。
実際、『知識創造企業』の続編として、野中郁次郎氏/竹内弘高氏が2019年に刊行した『ワイズカンパニー』という書籍の中では、「場」のあり方について、決して直接対面で会う「密」なものだけではなく、オンライン上での「バーチャルな場」が果たす役割が非常に大きなものになってきていることにも言及している。
企業内で生成される「場」の具体的な事例としても(オンラインも含めた)研修、勉強会、非公式の趣味の集まり、バーチャルな会議、イントラネット、ブログといったものが紹介されている。
ぼくの働いているサイボウズでは、ある意味、こうした「場」(現在はコロナ禍のため基本的にすべてバーチャル)が数多く存在している。
オンラインでのミーティングはもちろん、グループウェアと呼ばれるオープンなコミュニケーションツールを使うことで「場」はさらに拡張される。
日々の業務上のコミュニケーションは、すべて公開されたアプリケーションやスペース、スレッド上で行われ、日々何気なく感じたことも「分報」でつぶやかれ、「ピープル」と呼ばれる自分専用の公開ページで最近考えていることをまとめて発信するような人もいる。もちろん、そこには誰でも書き込むことができるため、気になったことがあれば返信したり、そこで議論が始まって、色んなアイディアが集まってくることもある。
また複数人で会議をする際はミーティング中に「実況スレッド」と呼ばれるオープンな掲示板が立ち上がり、口頭での議論と同時に、オンライン上での議論も同時並行で走ることも少なくない。
デジタルツールをうまく使って、多様な「場」を作ることができれば、必ずしも、「テレワークをしたら知識創造ができなくなる」というわけでもないかもしれない。
また、もう1つの「頻繁な人事ローテーション」についても、それがなくなれば本当に知識創造ができなくなるのか考えてみたい。
確かにサイボウズでは、強制的な人事異動、転勤は存在しないが、本人が希望し、チーム側と合意することができれば異動することはできる。また、多様な距離感を選択できるようになっていることもあり、「体験入部」や「兼務」が盛んでもある。
「体験入部」は3か月以内の期間で、どの部署でも仕事を体験することができる制度で、サイボウズの中で最も活用されている制度の1つでもある。
ここでも、現在やっている仕事を丸々止めて、他の部署の仕事をやるのはなかなかに大変だったりするので、3割だけ体験入部、というやり方もある。
ぼく自身、この「体験入部」や「兼務」の仕組みは、部署間の知識の共有につながっていると感じることがある。
たとえば、ぼくは現在、育成系の仕事と労務系の仕事を兼務しているが、つい最近も、育成系のミーティングで海外の事業体から日本の事業体への「体験入部」制度の利用希望が出ているが問題ないか、という議論になったとき、海外労務的な視点からの助言(出向契約、ビザ、税金、etc...)をその場ですることができ、そこから育成系のメンバーや労務系のメンバーそれぞれと議論する中で、今後サイボウズがさらにグローバル化を押し進めていく上で、人事がどういった部分を整理していかなければならないのか、新たに言語化されていく、という出来事があった。
もちろん、一方で、労務系の知識をインプットする場を社内でつくる際には育成系の部署で培った場づくりのノウハウを流用することだってある。
このように、ある程度各部署との距離感をグラデーションで見ることができるようになれば(もちろん大前提として主務、兼務部署での工数調整、情報共有を行い、本人に過重な負荷がかからない体制を作る必要があるが)、むりやり強制的な異動を繰り返さずとも、知識の共有が促進されるというケースは少なくないのではないだろうか。
参考記事:3年間、3部署を兼務して分かったこと
新しい時代の「知識創造」
ここまで「情報技術」を活用したり、インターネット的な考え方を採用することによって「知識創造」のやり方も少しずつ変わっていくのではないか、ということを書いてきたが、かといって、何でもかんでもデジタル化すればいいというものではない、とも思う。
2020年3月以降にサイボウズに入社したメンバーは全員フルリモートでの受け入れとなっているが、オンラインのやりとりだけだと、ちょっとした相談のハードルが上がってしまい、オンライン上でオープンに書き込むこと自体が難しくなってしまうケースがあるため、リアルに集まって交流したいという声が多く聞かれるようになっている。
また、今年から人事本部内に発足したチーム運営支援チーム(社内の個別の少人数チームに対してチームワーク面でのサポートに入る組織で、ぼくも一部の仕事を担当している)には、社内のチームから「コロナ禍がある程度落ち着いてきたタイミングで、リアルに集まってチームビルディングがやりたい」という依頼が来ていたりもする。
「(リアルに集まっての)高密度の場」というものも(さすがに「一緒に風呂に入りながら」というような性別によって排斥される人が出てしまう場の作り方はこれからも推奨すべきではないと思うが)使い方次第では、これからの時代においても、有用な知識創造の場であり続けるだろう。
そして、情報技術を活用したオープンなコミュニケーションをしているからこその課題もある。
インターネット空間のようにオンライン上で何もかも公開でやりとりをしているサイボウズでは「情報の洪水」状態が発生しており、さまざまな本部で生まれた有益な知見をどのように体系化、言語化して伝えていくかが喫緊の問題意識になっている。
そのため、さまざまな情報の結節点となるマネジャーの支援を強化したり、今後は組織の体制そのものも見直していく可能性も大いにある。
参考記事:「管理職」にも、チームワークを
『知識創造』の仕組みのアップデートには終わりがない。
ある意味、こうしてぼくが公開の場で気軽に情報を発信し、そこから何か一つでもヒントを得ている方がいれば、これも情報技術を使った新しい「知識創造」の在り方の1つなのかもしれない。
本記事の中で紹介した『ワイズカンパニー』の冒頭において、著者はアメリカの詩人、ウィル・アレン・ドロムグール氏の「橋を架ける者」という詩を引用している。ざっくりと要約すると以下のような内容である。
ある川に橋を架けた老人に、同行の旅人が問う。あなたの旅は今宵で終わりなのだから、ここに橋を架けるのは無駄ではないですか、と。
しかし、老人は答える。私が歩んできた道には、あとからやってくる若者がいる。大切な若者を危険な目に遭わせるわけにはいかない。私は若者のためにこの橋を架けたのだ、と。
上記の詩を引用した後、同書のまえがきは以下のように結ばれている。
われわれは若い研究者やマネジャーに本書を捧げたい。われわれが架けた橋を渡って、どこまでも知識を、そして知恵を追求してほしいという願いを込めて。
先人たちが残してくれた知識(研究)も吸収しつつ、そこに現代のテクノロジーをかけ合わせて、新しい知識を創り出していくこと。ぼくもそんな知識創造リレーの一端を担えたら、こんなにわくわくすることはない。
参考文献:
野中 郁次郎/竹内 弘高『知識創造企業(新装版)』東洋経済新報社
野中 郁次郎/竹内 弘高『ワイズカンパニー: 知識創造から知識実践への新しいモデル』東洋経済新報社
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