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令和の浦島太郎は玉手箱を開けたらあかん—浦島太郎ニッポン(下)

ノスタルジーにふけることは、時にはあってもいい。かつてを懐かしむ時も、あってもいい。瞬間、刹那はいいが、それを「過去から未来につながる基本潮流」だと考えてはいけない。それを時代の本質だと認識してはいけない

現在の私たちは、過去に生きているのではない。未来は、まだ生きてはいない。現在に生きている。現在に息づく「過去と現在と未来の流れ」を発見して、3つの時間軸をつなぐ人が、未来を切り拓けることができる

3年間過ごした竜宮城から、現在地に戻った浦島太郎。乙姫から「玉手箱をあけてはいけませんよ」と渡された玉手箱を前に、令和の浦島太郎ニッポン、どうする、どうする、どうする?


1 浦島太郎ニッポン、どこに行く?

ある街のホールで、コンサートが開かれている。40年前に一世を風靡したアイドルたちが集結する。そのコンサートのチラシに掲載されているアイドルたちの写真は、40年前のまま。2024年4月現在の舞台に立って、40年前にヒットした歌を歌う人たちは

40年後の元アイドルたち

テレビも映画もそう。昔、流行ったテレビや映画のコンテンツを繰り返す。令和のクリエイターや制作現場の責任者は、自分たちが青春だった昭和時代のコンテンツを令和時代にシンクロさせる。そのコンセプトはこう

現在はよくない
昔はよかったね

NHKの「プロジェクトX」も、復活した。かつて高視聴率を誇った番組だが、復活した番組は、どこか違和感がある。コンセプトもストーリー展開もナレーションも中島みゆきさんの主題歌も、かつて一緒である。しかしどこか肌触りが違う

コンテクストが違えば、コンテンツは違う

2. あっちとこっちがつながらない

昔はよかったが、現在はあかん
それ、ほんと?

テレワークではうまくいかなかったので、出社スタイルに戻そう。白は良いが、黒はダメ。ウチはいいが、ソトはあかん

現実は、ウチでもなくソトでもないかもしれない。ウチでもありソトでもあるかもしれない。どちらかでもなく、真ん中だったり、どちらでもあるなど、ウチと外の間にある選択肢は無限大ある。にもかかわらず

あっちとこっちを切り離し
どちらかを選択する

あっちとこっち
つながらない

技術と営業が、つながらない。技術と社会が、つながらない。デジタル情報と社会課題がつながらない。AIと社会がつながらない。リベラルアーツが必要だ、文理融合が大事だというが、融合しない、混ざりあわない。アート思考というが、アートだけではビジネスはまわらない。データサイエンスだけ突き詰めても、実社会を知らないと通用しない。生成AIに問いかけ瞬時に答えてくれるが、その答えには嘘が混ざり、真偽が見極められない。情報システムの導入後に不具合が発生したら、現場の仕事が見えない・仕事と仕事の間が見えないので、その暴走が止めらない。なにがおこっているのだろう?

こっちとあっちの「間」があった
ウちとソトの「間」があった

ウチとソトの「間」に、意味があった。その「間」が、どんどん薄くなり、ついには無くなり、ウチのすぐ横がソトになった。そして

「間抜け」になった

3 あなたの引き出しが未来を左右する

なぜ「あっち」と「こっち」が、つながらなくなったのか?

専門家ばかりになったから
専門バカが増えたから

かつて、いろいろな分野をつなぐ人がいっぱいいた。博覧強記とか博識とか知の巨人とか、物知りだと言われる人が多くいた

500年前のイタリアに、モナ・リザで有名なレオナルド・ダ・ヴィンチがいた。15歳でフィレンツェの多才な師ヴェロッキオのもとで、絵画・彫刻,建築を修業しながら,数学・物理学・天文学・医学を学び、それぞれの分野で一級になり、それらを組合わせ、超一級の作品を生んだ

現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われた、アメリカ生まれのバックミンスター・フラーは、発明家にして、数学者・哲学者・エンジニアであり、建築家であった。それぞれ超一級となり、それぞれの知見を結合して、独自の数学・物理学体系エネルギー・シナジー幾何学を構築し、「宇宙船地球号」という概念を提唱した

江戸時代の大坂にあらわれた木村蒹葭堂は、「知の共和国」をつくりあげたサロン型ネットワーカーだった。蒹葭堂は、造酒屋を営む博学多芸の町人学者であり、儒学の素養を身につけ、詩文、書画、本草学、煎茶道に通じた文人として、古今東西の奇書・書画・骨董・標本などの収集家・蔵書家だった。木村蒹葭堂を訪れた著名人は9000人にのぼり、人と人をつなぎ、知と知をつなぎ、すごい知を生んだ

こんな博覧強記の凄まじい人たちが減った

専門家が持て囃されるようになった。先入観・固定観念・前提条件が邪魔をして、自分の専門分野と思い込んでいる「こっち」にコリ固まり、「あっち」を下に見る。「こっち」の視座で、「あっち」を考える。しかし専門だと自負している「こっち」のレベルが年々と劣化して、世の中に通用しなくなっていることに気がつかない

だから、つながらない
だから、なにかが生まれない

過去にとどまり、現在・現場・現物・現実を観ないので、市場からずれる。先入観・固定観念・前提条件を変えない、過去に生きる浦島太郎は、現在社会からずれる

どうしたらいいのか?別々のように見える、無関係に思える「こっち」と「あっち」をつなぐ。つなぐためには大切なことがある

補助線を引く

「こっち」と「あっち」を突き詰めながら、補助線をいっぱいひくなかで、なにかが見えてくる、なにかが湧いてくる。 「こっち」と「あっち」をつなぐ補助線とは、なにか?

なんでや?
ほんまか?
こうなんとちがうか? 

という無数の問いかけである。問いかけという補助線が、ものごとの本質と課題を突き詰めていく。先入観を捨て固定観念を壊して、幅広く深く考える。この問いかけ、補助線の引き方を身につけるためには

あなたの引き出しを厚くする 

その引き出しが問いかけ、関係性を浮き上がらせる補助線を生む。その引き出しは、誰かの知的基盤である生成AIではない。自らが経験して感じて考えて学んだこと、人々との交流を通じて見たり聴いた他人の経験を自分事として考え感じて学んだことを収納した自分の引き出しをどれだけ増やせるかである。優等生だが時々間違う「生成AI」を使いこなすためには、あなたの引き出しが大事。だからどうする

令和の浦島太郎は、玉手箱を開けてはいけない

あなたの引き出しを増やしつづけ
あなたの引き出しを開ける

それがあなたの未来を拓く

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