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新卒ゆるゆる時代と募る焦り編 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.08>

いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(バックパッカー編)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。

そのまま参考にしていただくのが難しいキャリアなので、変にサマらず淡々とお伝えし、「この部分は参考になるかも」というところをピックアップしていただき、いかに「個人内多様性」を有するキャリアに至ったかを紐解く参考にしていただければという狙いです。


日本ではそろそろ就活も終盤にさしかかっており、10月には久々に内定式がリアル開催されるだろうという話も挙がっております。内定取り消しや採用見送りなどの不景気な話も聞く一方、オンラインを活用したインターン制度の多様化、通年採用や既卒採用も進むなど、新卒生の働き方を取り巻く環境はこの数年で大きく変化しています。

さて、私の学生時代はどうだったか。。まともな就活をせず、それでもなんとか企業に新卒として入社することになった頃、どんな想いで仕事や会社に向き合っていたのか振り返ってみました。


■新卒時代のはじまり

1999年4月、私はNTTソフトウェア(現・NTTテクノクロス)に入社しました。最初の3カ月は全体研修に参加し、一般的なビジネスマナーを1から教わるなど、私にとっては実に貴重な、純然たる会社員生活の始まりということになります。

初配属は技術開発部でした。これは簡単にいえばR&Dや新規事業を担当する部署で、研究所が開発した技術の実証や、新領域における海外ソリューションの導入検証などを手掛けるのが役割です。結果的にはここで掛け替えのない体験を多数させてもらうことになるのですが、配属当時は「もっと現場で大規模プロジェクトに関わりたかったのに」と、物足りなさを感じていたのもまた事実。

というのも、会社員に腰を落ち着けるつもりなどまったくなく、学生時代に仕事をご一緒した先輩から頂戴した言葉を胸に、経験を積んだら自分で起業するか、あるいは面白そうなベンチャーに移籍しようと目論んでいたからです。

■やや“はぐれもの”だったルーキー時代

職場は横浜の関内。スーツを着てネクタイを締め、紙製のタイムカードを毎日押す生活は、やはり新鮮でした。

(当時の写真が全然残っていない。そもそも撮ってもいなかったんだろう。。)

同期入社は約150人というそこそこの大所帯。しかし最初の頃は親しい人もおらず、やや孤独な新人時代だったように思います。というのも、二次募集組の私は同期の中でも内定が遅く、それに加えてバックパッカー生活を楽しんでいたため、内定者懇親会の類いにまったく参加していなかったからです。

おまけに元来あまり大勢でつるみたくない性分ゆえ、同期で示し合わせてランチに出たり、終業後に飲みに行ったりする輪は避けていました。思い返すと、同期生の多くは社員寮で生活しており、そこで繰り広げられるらしいビバヒル(懐かしい)的な人間模様を醒めた目で眺めていた記憶も。いま振り返ってみれば、周囲からははぐれものに見えていたかもしれませんね。

それでも2カ月、3カ月と時間が経つうちに、自分と似たような空気を漂わせている数名の同期と距離が縮まり、広くはないけどディープな交流が生まれます。

同期の出世頭で、プライベートではスポーツカーを乗り回す走り屋気質のM本。理系出身で真面目を絵に描いたような性格のN田。野心家でいつも「俺はこんな会社でだらだら過ごすつもりはない」と気を吐いていたT村……etc。

2000&2002年。今は無き寿町総合労働福祉会館で開催されてた寿町フリーコンサート。渋さ知らズ観に朝から行った。(これはさすがに一人で)

彼らとはこの後、横浜関内界隈のジャズバーを巡ったり、まだ猥雑さの残っていた黄金町、寿町や野毛界隈を飲み歩いたり、持て余した時間を使って取得した中型面許&バイクで全国を旅したり、一緒にジムに通ったりと、世代相応のさまざまな青春的体験を共有することになります。いまも付き合いが続いている人も多く、古巣でで要職に就くM本に招かれ、社内向けの講演をやらせてもらったこともありました。仲間とは財産であることを実感させられます。

■次第に募り始める焦り

仕事のほうは相変わらず、学生時代から仕事をしていた自分には、物足りなさが勝っていました。

たいてい定時で上がれる穏便な部署であったせいもあるでしょう。大きな声では言えませんが、時間とエネルギーを持て余していた私はやがて、学生時代のツテでこっそり副業を始めてしまいます。

仕事内容は学生時代と同様、プログラムやウェブ制作のディレクションで、水面下でいくつかの案件を進めながら会社員生活を続け、たまに副業のほうが多忙になると有給を使うという、いささか舐めた新人時代を送っていました。

しかし、だからといって上司の覚えが良くないかというと、(おそらく)そうでもありません。社内のシステムまわりの運用係に立候補するなどしていたため、部内ではいわば便利屋として重宝されていました。

そんな感じでそつなく“会社員”をこなし、同期と飲み、副業で稼いで趣味の音楽に興じる。それはそれで楽しい日々であったことは疑いようもありません。

ところが、ある程度の月日が経つと、学生時代の仲間たちの近況が耳に入ってくるようになります。誰々が某渋谷で働く社長が作ったITベンチャーの立ち上げに加わって活躍している。某R天の誰々が今度会社を辞めて起業するらしい。そんな話題を聞くにつけ、私の中に少しずつ焦りのようなものが募り始めます。

はっきりと前へ進んでいる彼らに比べ、自分は明らかに乗り遅れています。しっかり修行するつもりで入社したはずなのに、これまでにどれだけのものが得られたかというと大いに疑問でした。ならばと始めた副業にしても、所詮は学生時代にやっていたことの延長に過ぎません。

それなりに充実した毎日ではありましたが、自分はこういう生活を送るために会社員生活を選んだわけではなかったはず。そんな自責の念に苛まれだした頃、副業のほうで大きなトラブルが発生しました。。


次回は、トラブルの真相に迫る、、予定です!

<気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと>
第1回:「誘われ力」を磨いたバンド時代編
第2回:「仕掛け人」として「連帯感作り」に目覚めた学園祭編
第3回:音楽が未知の世界へ飛び込む楽しさを教えてくれた
第4回:本格的に「デジタル」に目覚めた大学時代編
第5回:ベンチャービジネスとの出会い編
第6回:モラトリアム卒業編
第7回:バックパッカー編
第8回:新卒ゆるゆる時代と募る焦り編

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