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生意気で衝突しまくっていた若手社員編 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.11>

いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(下積み時代編)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。

そのまま参考にしていただくのが難しいキャリアなので、変にサマらず淡々とお伝えし、「この部分は参考になるかも」というところをピックアップしていただき、いかに「個人内多様性」を有するキャリアに至ったかを紐解く参考にしていただければという狙いです。


先日、「交通系ICカードを持たない乗客でもチケットレスで通過できる手段」としてQRコードによるチケッティングの導入が発表されたんですが、そ記事を見て「頑張ってICカード化を進めてた時代もあったよなぁ。」と思い出しました。

新卒で入った会社では、ICカード&電子マネー関係のプロジェクトに所属していたこともあり、今や当たり前になった技術も当時はまだまだ不安定な状況だったよなぁ、、と懐かしく思った次第。

ということで、その当時の会社員時代を振り返ってみたいと思います。


■電子マネー&ICカード黎明期

会社員生活も3年目に突入した頃、再び異動が決まり、私の職場はそれまでの横浜から品川へと変わりました。今度は電子マネーやICカード関係のシステム開発・実証部門です。

いまでこそ当たり前のように使われている電子マネーですが、当時はまだ、複数の企業が自社の規格で覇権を握ろうと激しく争っていました。最終的にソニーのFeliCa・Edyが勝者となるのはご存知の通りですが、実はこの頃、FeliCaとしのぎを削っていたのが“NTT方式”です。(香港のオクトパスは当時画期的で、タイミング良く訪問した際に利用して感激したのを覚えてます)

当時は京急電鉄や京急バスにおけるICカード導入の実証実験に携わっていて、「電源の不安定なバス車載システムで、いかに確実な決済処理を実装するか」とか「なりすまし対策をどこまで堅牢にすべきか」とかとかを考えたりしてました。なつかしや。。。

■生意気盛りの入社3年目

当時はまだ珍しかったICカードや電子マネーだけに、その初期の実証実験に携わるとなれば、さも先進的でやり甲斐のある現場と思われるかもしれません。

しかし、前回触れた“火消し”チームに居心地の良さを感じていた私にとって、この辞令は決して嬉しいものではありませんでした。web業界に早々に戻るためにwebサービス周りの仕事を続けたかったし、1つの技術をじっくりと腰を据えて開発し、人知れず実証を重ねて課題を洗い出す作業が、なんだか地味に思えたからです。

そんな不満を感じるのも、会社員生活に慣れて、生意気な時期に差し掛かっていたからなのでしょう。

実際、新天地は前の職場と比べて格段にのんびりしていて、将来に向けて経験を積みたい私としては、物足りなさがありあり。定時に帰れる環境にどうも馴染めず、自発的に資料を作ったり、関連技術について勉強したり、勝手に深夜まで残業を繰り返していました。

「勝手に深夜残業」「無断でバイク通勤」ってほんとひどい。。

ちなみに生意気加減は通勤手段にも表れていて、本当は禁止されていたバイク通勤を見逃してもらっていたため、終電を気にする必要がなかったことも、そうしたスタンドプレーに拍車をかけたように思います。

そんな生意気ぶりは、業務にも少なからず影響します。私にとってこの時期は、クライアント側のプロジェクトマネージャーとガンガン激突しながら仕事を進める、いわば衝突期だったと言えるでしょう。

■何度もクライアントと衝突

当時の構図として、私にとってのクライアントは、電子マネーやICカードの技術開発にあたるNTTの研究部門でした。かいつまんで言えば、先方が「電子マネーとはこうあるべき」とビジョンや設計方針を提示し、それを元に裏側のシステムの仕様策定、開発するのがこちらの役目です。

ただ、まだその手のシステム開発における方式設計や仕様策定に慣れていないことに加えて、理論先行の研究者視点のお相手との折り合いが悪く、イライラさせられることもしばしば。「いや、その理屈は分かるけどそのやり方は不効率ですよ」、「そこは妥協していただかないと」などと、私は無遠慮に自分の意見をぶつけていました。

今思えば、ほんと申し訳ないし、大人気なかったと反省しております。

おかげでコミュニケーションはたいてい平行線。どうしても空気は険悪になりがちで、ある時などは少し年上の担当者にため息まじりに「話の通じない人と仕事するのは疲れますね」などと言われ、こちらも頭ごなしに「ふざけんな!」と怒鳴って電話をガチャ切りしたこともありました。

これも血気盛んな20代なりに、本気で仕事と向き合っていた証しと考えたいところ。実際、この時期にクライアントと真剣にぶつかりあった経験は(先方や一緒に働いていたメンバーからすればいい迷惑だったと思いますが、、)間違いなく財産で、その後、独立して様々なプロジェクトに関わるうえで大切な糧になっています。

■そして卒業へ

しかし、本気で仕事に取り組みつつも、心のどこかでは大企業ではなく、ベンチャーの世界に戻って仕事をしたいとの想いが燻り続けていました。大手グループ内の下請けよりも、自分が作ったサービスで直接的に世の中に価値提供したり、事業の中核で事をなしたいのが本心で、やがて私は少しずつ“次”のステージを模索し始めることになります。

もともと会社員経験は3年と決めていたはずが、気がつけば4年目に差し掛かっていました。頃合いではあるでしょう。プロジェクトの切りの良いタイミングを見計らい、私は上司に退職を申し出ました。退職の際、お世話になった事業部長から、こんな助言をいただきました。

よくあんなわがままな若手を、温かい目で見守りながらお相手してくれたものだと感謝しております。

「君はややセルフィッシュなきらいがあるから気をつけて。技術や知識を身につけるのも大切だけど、周囲の人間を動かすなら、最後は”人の心”だよ」

これはいまでも心に留めている言葉です。


さて、新卒一社目の話はここまで。次回は番外編として、国内放浪編をお届けする予定ですよ。

<気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと>
第1回:「誘われ力」を磨いたバンド時代編
第2回:「仕掛け人」として「連帯感作り」に目覚めた学園祭編
第3回:音楽が未知の世界へ飛び込む楽しさを教えてくれた
第4回:本格的に「デジタル」に目覚めた大学時代編
第5回:ベンチャービジネスとの出会い編
第6回:モラトリアム卒業編
第7回:バックパッカー編
第8回:新卒ゆるゆる時代と募る焦り編
第9回:複業で遭遇した大炎上編
第10回:自ら望んだ “火消し”チームで過ごした私の下積み時代編
第11回:生意気で衝突しまくっていた若手社員編

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