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複業で遭遇したトラブル編 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.09>

いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(新卒ゆるゆる時代と募る焦り編)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。

そのまま参考にしていただくのが難しいキャリアなので、変にサマらず淡々とお伝えし、「この部分は参考になるかも」というところをピックアップしていただき、いかに「個人内多様性」を有するキャリアに至ったかを紐解く参考にしていただければという狙いです。


副業解禁の流れを受けて、副業希望者と企業をマッチングするサービスも増えてまいりました。創業期に私がご支援したことがある会社もいくつかありますが、当時から変わらず「副業に挑戦したい人は相当数いるが、今の課題は受け皿がない(アナザーワークスの大林尚朝代表)」状況が続いているとのこと。

また、多様な働き方を認める流れを経て、政府も副業&フリーランスの働き方保護を促進する流れもありますが、私の周りではまだまだ「複業現場でのトラブルの相談」はよく聞きます。

今回は、私が「複業」でトラブルに遭遇した時の話を振り返ってみたいと思います。


■復業生活の中で突然訪れたトラブル

会社員生活を送るかたわら、学生時代からお世話になっていた先輩の会社で複業に勤しんでいた私。それも時間とエネルギーを持て余していたからこそでしょうが、やはり社会は甘いものではありません。

ある時担当したのが、とあるジャンルのファン向けコミュニティサイト作りでした。わりと大掛かりなプロジェクトで、サイトのローンチに合わせたイベント会場にはメディアが取材にやってくるということで、必死に制作を進めていたのですが――。

思いがけないトラブルが発生し、私は窮地に陥ってしまいます。

■一斉配信で大失態!

まだSNSなどない時代のこと。サイトが完成に近づき、公開の目処がついたところで、見込み客とも言うべき数千人分の関係者に、サービスリリースのお知らせメールを一斉配信することになりました。

クライアントが用意した数千人分のメールアドレスに宛てて、配信設定を完了。メデイアの報道と合わせて、きっと大きな反響が得られるに違いないと、その時点ではわりと呑気に構えていたものです。

ところが、ここで事故が発生。数千人に送るはずのメールが、誤って数名のユーザーに数千通が送られ続けるという、まるでサイバーテロのようなコマンドが実行されてしまったのです。

これは完全に私のミスでした。当時は今と異なり、メールサーバの容量が限られていたので、お相手のメールボックスは一瞬でパンク状態に。当然、当該ユーザーの方は激怒して、運営元の企業にクレームの嵐です。

こちらとしては真摯に侘びてシステムを修正するしかないわけですが、ここで思いもよらない事実が判明しました。送信先として渡されていたメアドのリストは、ネット上の掲示板などからかき集めてきたアドレスも混ざっており、全員に許諾を取っていたわけではなかったのです。

今ほど個人情報にうるさくない時代だったとはいえ、見ず知らずの企業から突然何千通ものメールを送りつけられれば、激怒するのも当たり前。そのクレームを受ける運営会社もまた、「お前らのせいで対応が大変だぞ!」と私たちに怒り心頭です。

そのクライアント企業というのがあまりお行儀の良くない筋だったこともあり、しばし罵詈雑言にさらされ続ける私。自分のミスが招いたこととはいえ、これにはほとほと参りました。

■隠れ複業からの完全撤退を決意

結局、ひと通りお叱りを受けたあと、システムを改修し、会社側がお詫び金を支払うことでどうにかこの問題は収束に向かうことに。私としては、周囲に余計な負担を強いたことを心苦しく感じながらも、ほっと胸をなでおろしたものです。

実はこの時、ちょうど本業のほうでも重要な案件が佳境に差し掛かっていたのですが、そんなことは言っていられません。私は半ば無理やり有給を取り、1~2日かけてシステムの改修に励んだのでした。

今振り返ってみてもこの経験は自分にとって良い薬でになりました。中途半端に仕事をやってもろくなことにならないということを、肌身で知った出来事でした。

今回のミスは、確認作業をサボらずテストを徹底すれば回避できたものだったはず。仕事に懸ける気持ちの軽さを否が応でも自覚せざるを得ず、結果的に私はこれを機に複業に手を出すのをやめ、本業にしっかりコミットしようと“改心”しています。

以降、会社の仕事に全力を注ぎ始めた私は、徹夜作業や休日出勤を厭わない別人のような会社員に生まれ変わったのです。これが新卒入社1年目の後半のことでした。

一方、当時はこんな自己分析をする余裕などありませんでしたが、こんな大失態の中でも、トラブル対応に微かな楽しさを感じていた自分がいたのも事実です。目の前の課題解決や有事にこそやり甲斐を感じてしまう性分なのでしょうね。この傾向は今もあまり変わっていないように思います。


次回は、“火消し”チームで過ごした私の下積み時代編をお届けする予定ですよ。

<気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと>
第1回:「誘われ力」を磨いたバンド時代編
第2回:「仕掛け人」として「連帯感作り」に目覚めた学園祭編
第3回:音楽が未知の世界へ飛び込む楽しさを教えてくれた
第4回:本格的に「デジタル」に目覚めた大学時代編
第5回:ベンチャービジネスとの出会い編
第6回:モラトリアム卒業編
第7回:バックパッカー編
第8回:新卒ゆるゆる時代と募る焦り編
第9回:複業で遭遇した大炎上編
第10回:自ら望んだ “火消し”チームで過ごした私の下積み時代編

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