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自ら望んだ “火消し”チームで過ごした私の下積み時代編 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.10>

いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(複業で遭遇したトラブル編)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。

そのまま参考にしていただくのが難しいキャリアなので、変にサマらず淡々とお伝えし、「この部分は参考になるかも」というところをピックアップしていただき、いかに「個人内多様性」を有するキャリアに至ったかを紐解く参考にしていただければという狙いです。


岸田政権の重要政策の一つとして人的資本投資の促進があり、中でもリスキリングについてはこの半年になってやっと議論が活発になって参りました。

「今大きな時代の変化の中で新しいもの、リスキリングが求められている。私も『新しい資本主義』という経済モデルを掲げ『人への投資』の重要性を訴えている」

2022/10/12に開催された「日経リスキリングサミット」での岸田首相の発言

常に変化する労働環境に応じて必要なスキルを身につけていくことの重要性の啓発や、またそれを支える企業や国の取り組みを進めていくという話です。

私が新卒の時代を振り返ると、ちょうどIT産業が伸び始めた頃で、多くの参入者が業界に飛び込んでおりました。一方で、素人仕事で事故るプロジェクトも見受けられ、関わるプロジェクトが炎上したり立て直したり巻き込まれないよう立ち回ったりする学生時代を経て、「ITの知見だけでなく、ちゃんとプロジェクトマネジメントを学ばねば。」と思ったのを覚えております。

今回は、そんな私が厳しい現場で鍛えられた下積み時代の話を振り返ってみたいと思います。


■"志願”して異動

複業で手痛い失敗をやらかしたことが良い薬になり、もっと本業に打ち込まねばならないと改心(?)した私。ちょうどその頃、それまでのR&D部門を出て、民間企業向けのウェブサービス開発を作る部門に異動することが決まりました。

といっても、これは会社から降りてきた辞令ではありません。社内のあるプロジェクトが大炎上中で、対応できる人材を探しているとの話が耳に飛び込んできたため、自ら手を挙げたことで決まった異動です。

ウェブ開発は学生時代からお手の物ですし、複業での失敗体験から、炎上案件は高い経験値を得るチャンスであるという下心めいたものもありました。かくして、“火消し”チームで毎日が始まったのです。

■トラブルシュートにやり甲斐を見出す

会社の規模や環境を問わず、システムまわりはトラブルが付き物。進行が大幅に遅れたり、思わぬバグが見つかったり、サーバー障害が発生したり、突然メンバーが音信不通になったり……etc。

問題はそうしたトラブルを未然に防ぐこともさることながら、発生したトラブルをいかに迅速に解決するか、です。そこでそれなりに人手がある会社では、有事の際には急きょネットワークのプロやマネジメントのプロを招聘して、トラブル対応のための急造チームを編成します。これを私の会社では“火消し”チームと呼んでいました。

私が異動して“火消し”チームに加わったのは、入社1年目の後半ごろのことでした。当時はインターネットの黎明期ゆえ、ブルーオーシャンな市場でひとつでも多く案件を取ろうと、あちこちの会社で強引な営業が目についたものです。まして、営業担当社がネットやシステムのことをあまり理解していない現場も多く、納期も内容もめちゃくちゃな案件が少なくありませんでした。

つまり、エンジニア側からすれば無茶なオーダーが矢継ぎ早に降ってくるかと思えば、それらがあちこちで火を吹き始める有様で、開発現場はとても健全とはいえない状況に置かれていました。

■私にとっての貴重な下積み時代

とにかく作業量が多く、会社や近場のホテルに泊まり込むことも珍しくない過酷な日々。同僚からはよく、「体、大丈夫?」、「とんでもない現場に入れられちゃったね」と声をかけられたものですが、私としては体力や時間を削られることなど些細なことでした。

むしろ内心では、「これだよ、これ。こういう環境を求めて就職したんだ」と、ある種の手応えを感じていました。本業に専念すると決めたからには、とにかく場数を踏みたいと考えていた私にとって、トラブルだろうがなんだろうが、次々に事にあたるのは、何かと都合が良かったのです(まだ20代前半で体力もありましたしね)。

毎日、プロに囲まれて食らいつくように作業をこなし、仕事に対する姿勢や手法を次々に吸収する。求めていたのは現場のオペレーションや実装の部分であり、プロジェクトの進め方に関するノウハウでした。

なので、何度も修羅場をくぐり抜けてきた先輩社員が、クライアントに対してどのような交渉を行ない、どうやって現場の意向を通すのか、忙しい最中にもできるだけ一挙手一投足を見逃さないよう気をつけていました。まるで荒行のような毎日でしたが、この先も開発やプロジェクト推進にまつわる世界で生きていく上で、これは間違いなく必要な経験だったと言えます。

しかしこの時期にも一度だけ、私はミスをやらかしています。その日、朝のうちに終わらせなければならない作業があり、午前5時集合を命じられていたにもかかわらず、うっかり寝坊してしまったのです。寝過ごさないよう、近くのホテルに投宿していたにも関わらず、つい寝際にビールを飲んでしまったのが原因でした。溜まった疲れと酒で爆睡してしまい、何重にもセットした目覚ましに気づかなかったのです。

1時間遅れで恐る恐る現場へ行くと、すでに私の席では別の誰かが作業を進めており、プロジェクトマネージャーから「ばかやろう。いいよもう、邪魔だからどこか行っててくれ」と追い払われてしまう始末。これは落ち込みましたし猛省しました。

作業が落ち着いたところで必死に詫びて、「別にまだ来るなら来てもいいよ。来なくてもいいけど」などと嫌味を言われながらも、懸命に食らいついていたこの時期。学生時代に社会人の先輩に言われた、「いつまでも“会社ごっこ”のままではダメだよ」という言葉の本質を理解したのもまさにこの頃で、これが私にとっての下積み時代でありました。


次回は、番外:日本一周編をお届けする予定ですよ。

<気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと>
第1回:「誘われ力」を磨いたバンド時代編
第2回:「仕掛け人」として「連帯感作り」に目覚めた学園祭編
第3回:音楽が未知の世界へ飛び込む楽しさを教えてくれた
第4回:本格的に「デジタル」に目覚めた大学時代編
第5回:ベンチャービジネスとの出会い編
第6回:モラトリアム卒業編
第7回:バックパッカー編
第8回:新卒ゆるゆる時代と募る焦り編
第9回:複業で遭遇した大炎上編
第10回:自ら望んだ “火消し”チームで過ごした私の下積み時代編
第11回:生意気で衝突しまくっていた若手社員編

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