新卒番外編②:暇さえあれば日本全国を巡る 〜 気づいたら「個人内多様性」を獲得していた自分が、今までのキャリアでやってきたこと<vol.13>
いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(新卒番外編②)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。
先日、私も視察した長野県千曲市で行われているワーケーション&スナック文化を軸にした街の魅力発信プロジェクトの様子が報じられていました。
私も案内いただいてスナック街を徘徊したのですが、このように地域の魅力を探して回るは今に始まった話ではなく。思い返すと学生時代から変わっていないようです。ということで今回は、新卒時代の「国内徘徊」の様子を振り返ってみます。
バイクの免許を取得して、会社の仲間と日本一周に乗り出した私。この時の経験も、今日こうして全国をふらふら旅する気質に通じているのではないかと感じます。
ただ、今にして思えば、当時の旅路はなんとも行き当たりばったりで危なっかしいものでした。当時の写真を交えて、ざっと振り返っていきたいと思います。
■一般道縛りの過酷な全国制覇の旅
入社1年目の夏休みが近づいてきたある日、同期のMとNが「車で日本を一周するぞ」と話していたのをたまたま耳にし、私もこの企画に乗らせてもらうことになりました。
ただし、私はバイクで追走する形で。こちらとしてはせっかく免許を取ったのだから、バイクに乗りたくて仕方がなかったのです。また、日本一周といっても、何カ月もかけて一気にまわろうというのではなく、まとまった休みを見つけてはエリアごとに制覇していくのが私たちのスタンスでした。
全員揃って休みがとれたタイミングで、たとえば「今日は常磐道に沿って北関東から東北エリアを目指そう」とか、「今回は大阪から淡路島経由で、四国を一周してみよう」といった形で、ブロックに分けて行き先を決めます。ただし高速道路は使わず、一般道のみで目的地を巡るのがルールでした(※目的のエリアまでは高速道路有り)。
しかし、時には深夜0時に自宅を出て、一昼夜走りっぱなしということも珍しくなかったので、決してお気楽な旅ではありませんでした。途中で雨が降ればグローブが濡れて凍えるし、旅先で地元のヤンキーにちょっかいを出されたこともありました。
名古屋の工業地帯を走っていた時には、やたらと後ろのトラックにクラクションを鳴らされるので何事かと困惑していたら、「兄ちゃん、テールランプ切れてるよ!」と親切に教えてもらったこともありました。早朝の陽が出るか出ないかの薄暗い時間で、一歩間違えると追突事故ものですよね。教えてくれたドライバーさんには感謝です。
たいてい車の2人のほうが早いので、あらかじめ決めておいたファミレスなどで定期的に合流し、自分はおしぼりで顔を拭いて腹ごしらえをして、すぐに出発というのが毎度のパターン。元気な20代とはいえ、毎回ハードな旅路でした。
それでも、旅先で素晴らしい景色に触れると、そうした疲労も吹き飛んでしまうもの。日没寸前になんとかたどりついた瀬戸大橋を走った際に見た夕景の美しさなどは、今でも忘れられません。
■熊の出る雪山に正月の恐山など、ネタの尽きない冬の北国行
また、バイク旅だけでなく、高校・大学と同級生だったN(前出のNとは別人)とはこの時期、何年か雪国での年越し旅行を共にしていました。
発端は「大晦日の浮かれたムードが苦手だ」と意見が一致したことで、だったら暮れに都内を脱出して、北国のどこかで日本の魅力を再確認しながら年を越そうと相成ったのです。知床で流氷を見たり、津軽でストーブ列車に乗ったり、こちらもなかなかオツな旅でした。
ただしホテルは使わず、テント持参で野営するのがこの旅の取り決め。そのため、ある時は白神山地そばの雪山にテントを張り、またある時は五所川原市の市役所前にテントを張りと、我ながら妙な場所で年を越していたものです。とくに雪山は熊が出没する危険なエリアで、冬眠しているだろうと高をくくっていたら、それらしき足跡を見つけて震え上がったこともありました。
ほかにも印象的なのは、三が日に訪ねた下北半島の恐山が妙に幻想的だったことや、弘前駅から乗った弘南鉄道大鰐線が東急東横線の払い下げ車両で、遠方で旧友に出会ったような不思議な感覚を覚えたこと。
また、Nとは旅先で喧嘩もしました。というのも、寒さとの戦いでもある旅路はそれなりに過酷だし、今のようにスマホもない中で時刻表はもちろん移動ルートの確認もままならず、加えて資金不足で十分に食事が取れなかったことから、互いに気持ちの余裕を失っていたからです。ある年などは、些細な口論が原因でNと旅先で分かれ、別々に帰ってきたのも今となっては良い思い出です。
他にも隙間時間を見つけては各所の離島を訪れ野宿したり、真鶴にあった知人民家で素泊まりしたり庭で夜通し花見をしたりなどしたものです。
東京へ戻れば、せっせとシステム開発を仕切ったりクライアントとやり合ったり、何事もなかったかのようにいつもの日常が始まるわけですが、こうして要所要所で経験した旅の記憶は、自分という人間を形成する上で、確かに血肉になっていると感じるのです。
次回は、ベンチャー業界に転職編ってことで、遅ればせならベンチャー界隈に戻っていくあたりをお届けする予定ですよ。