スタートアップで研鑽を積んだネット産業勃興期。前職での経験とのミックスアップでさらなる成長を。 〜 今までのキャリアでやってきたこと<vol.16>
いろいろな仕事に関わるあまり、自分の仕事を一言で表すのにいつも苦労する私。前回(スタートアップでの仕事開始編)に引き続き、しばらく「日比谷のキャリアをひたすら時系列で紹介する」シリーズにお付き合いいただければと思います。
電動キックボードが改正道路交通法の施行によって広まりつつありますが。
同じくモビリティ領域では、ライドシェアに関する議論が盛り上がっておりますね。新しい資本主義実現会議にも参席するZHD会長の川邊さんは各所で緩和を訴え、先般はグリー田中さんの投稿をきっかけにIT界隈の経営者たちがコメント欄で議論をかわし、日本交通(かつ全国タクシー・ハイヤー連合会会長でもある)川鍋さんもコメント欄に登場しておりました。
社会課題解決のためには既存のルール(法制度から業界ルール、慣習まで含む)を見直すことは必要なイベントであり、そのタイミングや内容を誤ると課題がなかなか解決されないだけでなく、中長期的な経済成長や国際競争力の低下にもつながりかねませんよねぇ。そして、またその結果は、時が経たねば評価できないのも難しいところ。目先の損得にとらわれず、中長期視点で判断し、変革することが求められるわけですが、ライドシェアについてはどう着地するものでしょうか。
また、このような規制緩和や業界構造の見直しが起こると、それをとりまくビジネスの環境も変わるわけで、ビジネスチャンスも生まれます。今回は、とある市場の変化のタイミングに乗って、会社や仕事を広げていたことの時代を振り返ってみます。
■人材業界を中心に、webサービスを開発しまくる
新天地のA社での私の仕事は、引き続きプロマネがメインでした。時に営業から担当することもありましたが、設立数年でそこそこ実績がある会社であったため新規開拓の営業というよりも、次々に舞い込む案件を1から営業兼プロマネとして対応していくだけで手一杯。
当時急成長していた人材系各社のWebサービス(*)を立ち上げたり、ECやオンラインサポートのシステムを開発したり、案件はさまざまでした。正直、NTTグループでやっていた業務と比べると、いろいろな面で仕事の仕方が柔軟かつフットワーク軽く、「こんなに適当でいいんだ」と思わなくもなかったですが、これはむしろ大企業特有の非効率な仕事ぶりが身に染み付いていたからなのでしょう。
たとえば前職では、すべての工程においてドキュメントを残すのが常でした。これは後の改修や引き継ぎのためという名目ですが、A社では「どうせソースを見ればわかることだし」「作ってもクライアントも読まないし」と、どこか牧歌的なムードがあったのが印象的。これは私にとって心地の良い世界でした。
■いよいよ盛り上がり始めたインターネット産業
請け負う業務のひとつに、サーバーの組み立てやインフラの構築がありました。いまならAmazonのAWSなどを使えば、ワンクリックで契約し無限にサーバーを増やすことができますが、当時は自分たちで秋葉原などでパーツを買ってきてサーバー機を組み上げなければなりません。もちろんケーブルも自作します。
こうした作業はたいてい、まとまった時間を確保しやすい深夜か週末に複数名でよってたかって取り組むことが多く、ひと仕事でした。
まずあらかじめ、オフィスで何台ものサーバーを組み上げては動作確認を行います。そして問題がなければそれを緩衝材でくるんでタクシーで納品先のデータセンターまで持ち込む。大抵作業は他業務に支障のない時間帯ってことで深夜でして、タクシーが見つからない場合はボロボロの社用車で都内近郊のデータセンターに乗り付けます。
現場に着いたら、冷却用の業務エアコンがガンガン吹き荒れ、冷えて乾燥した劣悪の環境な中で数時間の作業を開始。大きなラックに機器を差し込み、ケーブルを引き回し、動作確認。うまく動かなければその場でトラブルシューティング。これらの作業を夜通し行い、明け方みんなで疲労を労いながら帰途につく。働き方改革も何もない(*)時代ですが、そんな日々を私は心から楽しんでいました。
(*)当時から設備や環境の整ったデータセンタもあったんですが大抵高額だったので、コストを抑えるために「作業環境としては劣悪だが安く、しかし品質は安定している」施設を開拓しておりました
ホリエモン率いるオン・ザ・エッヂ、前Yahoo代表でもある川邊健太郎さん率いる電脳隊などが業界をリードしていた時代でもあり、世界がインターネットの可能性を具体的に理解し、続々と参入してきた勃興期。業界が異様な熱気にあふれていて、当時の雰囲気はいまでも忘れ難いものがありますなぁ。
■“流行り物”がすっぽり抜け落ちた疾走期間
この時期は私にとって、NTTグループで培ってきたスキルや知見を、一気に放出していた疾走期間だったと思います。
前職時代、世の中のベンチャーがどんどん大きくなっていくのに対し、取り残されている気がして焦りを募らせていた私ですが、いざA社にジョインしてみると、“修行”の成果をしっかりと感じることができました。
自分の経験がベンチャーの前線で通用することを実感する一方で、営業や契約処理、組織作りなど新たに経験する業務も多々ありました。これこそがベンチャーを望んだ一番の理由で、将来の独立・起業に向けて何でもオールマイティにやれるようになるために、これは非常に有意義な環境だったと思います。
おかげで昼も夜もなく働き続けることが何らストレスにならず、ただただ充実の毎日。いまの自分からは想像もつきませんが、仕事以外で人に会いに行くようなこともほぼなく、友人と飲みに行こうという発想にすら至りませんでした。「夜中まで働いてバイクで一時帰宅、シャワー浴びて出社」みたいなルーチンにしてるくらいで、「飲みにいく」なんて発想がなかったんですよね。(その反動で、この後のSansan時代に人とつながりまくることなったと思われる)
おかげで振り返ってみると、A社に入社した2003年からの数年間に流行った映画や音楽が、自分の知識からすっぽりと抜け落ちていることに気付かされます。それだけ仕事に没頭していたということですね。
そうして一心不乱に働いているうちに、当初は10人程度だった会社が、気がつけば20人超の組織になり、さらなる成長フェーズに突入します。一社員としてジョインした私が、取締役として経営側に移ったのは、予定通り入社から1年後のことでした。
次回は、「マネジメントの苦労&成長痛」あたりをお届けする予定ですよ。